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2018年1月11日木曜日

TSONTS-20 萬葉学会の何が問題か(5)

Q5. 査読者の交替を要求しなかったのですか。
A5. それ以前に反論さえ認めないと言っています。

理系の学会は投稿者と査読者は対等です。査読者が理解不十分で査読に相応しくないと判断すれば当然の権利として編集者に査読者の交替を要求します。萬葉学会はそれとは全く別の常識が支配する世界です。以下は私の推測です。国語学者であれば当然の発見の如く書くでしょうが、常に客観的に表現することを訓練された理系人の控えめな書き方は国語学者たちから見れば「説得力がない」かもしれません。国語学者風に書いてみましょう。

萬葉学会は未熟な投稿者を専門家である国語学者が指導育成すると考える。国語学者は不可謬であり、その発言は絶対の真理である。投稿者はけして逆らってはならない。天は人の上に査読者を作り、人の下に投稿者を作る。萬葉学会はそう考えるのである。

投稿者は査読者の言い付けを遵守して論文を改良すること。ゆめ査読者が間違っているなどと思ってはならない。書き直して論文の価値が下がったとしたら、それは投稿者が査読者の真意を誤解したからである。萬葉学会の聖なる書物にはそう書かれている。

そのような方法で審査する限り、従来説を覆すような画期的進歩は起こらない。人間は自分を物差しとしてしか評価できない。自分を超えるものの価値が理解できるだろうか。結局は査読者たちの常識に整合する論文ばかりが掲載される。「萬葉」にここ十年ほど画期的な論文が掲載されただろうか。従来説の焼き直しばかりではないか。地動説を唱えるものを有罪とするようなやり方は科学(知的活動)を停滞させるばかりか逆行させる。

萬葉学者は論文を文学作品と同じと理解している。新しい発見があることは重要でない。結論が従来説と同じであっても、当該の論文が用いたとは別の例えが使われていれば説得力があると感動する。海外の専門家が書いた言語学の定番の教科書が引用されていれば、たとえその引用が誤訳であっても良い。大切なのは正確さでなく説得力なのだから。権威の発した言葉は錦の御旗となる。たとえ上下逆に掲げていたとしても。

慣れないことをするものではありませんね。断定的に書くという点では国語学者風でしたが、決まり文句の「思われる」「だったのである」を使い忘れました。

Thomas KuhnのいうParadigme shiftを実現するには、国際的な学会(理系はすべてそう)が採用しているように、投稿者と査読者は対等である、という原則を貫くべきです。でないと、査読者の思いも寄らなかったような新しい発見は出てきません。国語学に進歩がないとしたら、そのような審査方法が原因なのかもしれません。ちなみに、「ミ語法の」論文のほうは、三名の査読者があり、反論も認められました。また、今回のク語法の論文の査読理由のような、明晰でない日本語や意味が不明な英単語の使用もありませんでした。今まで書いてきた理系の論文もそうでした。萬葉学会だけたまたま不明瞭な文章を書く人に当たり、萬葉学会だけ査読に反論が認められないのかもしれません。 


参考文献
Kuhn, Thomas (1996), The Structure of Scientific Revolutions, 3rd Ed. (Univ. of Chicago Press)



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