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2018年2月25日日曜日

TSONTS-26 高山善行(2005)を何故批判するのか(6) なぜ高山善行(2005)なのか

Q6. 高山善行(2005)が何故選ばれたのですか。
A5. 偶然的な理由と必然的な理由があります。

私の投稿(ク語法の論文)を萬葉学会が不掲載と判断した理由を知りたかったのです。査読者(Q氏)が所見に「モーダルな意味があると捉える点は興味深い。」と述べ、「構文上にモーダルな意味が付加されているのか、それともアクそれ自体の語義によっているのかが、本論では明らかではない。」を不掲載の理由の一つとしたためです。私自身は当該の論文でmodalityを論じる意図はなかったので、Q氏の感想や理由は意外でしたし、Q氏が「モーダル」という言葉で何を意図しているかもわかりませんでした。それでP氏(編集委員)にQ氏のモダリティの定義を教えてほしいと頼んだのですが、査読結果に対して質問することすら許さないと考えるP氏から満足な回答は得られませんでした。そこで古典語のモダリティの論文で有名な高山善行氏の一連の論文を読みました。以上が偶然の理由です。

そのようにして読んだ論文の一つが高山(2005) です。萬葉学会を初めとする国語学の学会に共通する問題がそこにあると感じました。国語学の世界では「権威による論証」が幅を利かせているようです。素人が書いたから間違いである。国語学者が言ったから正しい。正しいことの理由が発言者の権威なのです。それが間違いなのは言うまでもありません。しかし国語学者の多くがそう信じているとしたらどうでしょう。一般の人も学者の言うことだから正しいに決まっていると思うかもしれません。

この項目のタイトルのTSONTSはto sue or not to sueです。長いので略しました。裁判のことは詳しくありませんが、一般の人が裁判員となるかもしれません。初歩の論理学の専門教育を受けた人たち(大学の理系学部や法学部などを卒業した人)だけでなく、そういう教育を受けていない人たち(たとえば国語学者の多く)にも理解してほしいのです。

高山善行(2005)は「従来の帰納的方法に対して, 本稿では演繹的方法を用いる。」と述べています。帰納と演繹の違いが同論文の主眼でしょう。しかし、高山善行氏がそこで用いたのでは帰納法であって演繹法ではありません。

高山氏は127例の用例を調べ、時間や場所の表現との共起がないという事実を観察しました。次に高山氏はその事実を帰納して、連体法の「む」は時間や場所の表現と共起できないと一般化しました。ソクラテスが死んだ。プラトンが死んだ。これらの個別の事実を帰納して一般化する。だから人間は死ぬものである。教科書通りの帰納法です。

次に高山氏は「共起できない」という機能的結論の理由として、 連体法の「む」は非現実の事象を表わすという仮説を遡及推論から提案しました。遡及推論はretroductionとも呼ばれます。結果を見て原因を推論します。置き忘れた財布が無い。あいつが盗んだと仮定すれば財布がないことを説明できる。したがってあいつが犯人である。この論法が間違いであることは誰しも認めます。しかし国語学の世界ではしばしば用いられます。

そもそも言葉の意味を推定するのは言語学です。その言語学は経験科学です。経験科学において演繹だけで新しい知見が得られないことは今さら議論の余地がない常識です。演繹で何かがわかるのは、絶対的な真理から出発した場合だけです。数学は人間が絶対的に正しいと定めた公理から出発します。法律も憲法から演繹されたものと言えます。神学も聖なる書物に書いてあることは絶対に正しいとするなら演繹が有効でしょう。中世ヨーロッパの天文学などには演繹による惑星間の距離の証明などがあります。しかし現代人がそれを正しいと認めることはあり得ません。高山善行(2005)はこの点でも問題です。

帰納や遡及推論を演繹と主張する論文が他分野で書かれることはあり得ません。何かの間違いで書かれたとしてもそれが査読を通って雑誌に掲載されることはあり得ません。論理的に物事を考える、論文を書く、論文を審査するという、研究の初歩的な能力において、高山善行(2005)がそれを満たしているとは言えませんし、それを審査してそのまま掲載した日本語学会の査読者もそれを満たしているとは言えません。つまり、どちらも研究の仕方や論文の書き方では素人であって専門家でないのです。先行文献を引用し違いを明確に述べることは論文の著者の義務ですが、前回書いたようにそれも守られてはいません。

高山善行(2005)を選んだのは大学の教員だから正しいだろうという予断(prejudice)を持つことは危険です。それが高山善行(2005)を選んだ第二の必然的理由です。

高山善行氏だけではありません。国語学者を名乗る人たちの多くは研究の仕方と論文の書き方では素人です。誰某は専門家だから正しい。また、誰某は大学の文学部を出ていないから素人であり、したがって言っていることは間違いである。そのようなおかしな論理で他人の論文を評価すべきではありません。専門家は本来自分の目だけで他人の仕事の結果の大凡の価値を判断できるものです。著者が大学の国文科を卒業しているかどうかだけで判断するなら、国語学は何十年、何百年経っても江戸時代から1mmも進歩しません。


いつものおまじないを書いておきます。こういう常識をわざわざ書かなくていけないのも情けなくはあります。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ。」

藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の「エスパー魔美」からの引用である。「法華狼の日記」さんのサイトに詳細な解説とそれに対する読者の反論と議論がある。セリフに漢字が少ないことから窺えるように、この漫画は小中学生を読者と想定したものである。自分の論文が批判されて怒っていたら理系の研究者はやっていられない。相互批判は学問の共同体の当然の権利であり、それが学問を発展させるのである。この当然すぎる常識を萬葉学者たちが受け入れてくれることを祈る。

※ このブログの記事のことは萬葉学会にメールして以下の伝言を高山善行氏に伝えるようお願いしました。宛先には萬葉学会編集委員長の関西大学の乾善彦氏も入れてあります。ですから必ず伝わっていることと思います。伝言の部分を再掲します。


高山善行殿

高山善行(2005) 「助動詞「む」の連体用法について」 『日本語の研究』  1(4), 1-15, 2005の問題点を次の記事で論じています。

高山善行(2005)の問題点(1) 演繹でない推論
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-2.html

高山善行(2005)の問題点(2) データの整理が不適切である
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-3-20052.html

高山善行(2005)の問題点(1再) 演繹でない推論(つづき)
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-4-20051.html

高山善行(2005)の問題点(3) モダリティの理解不足
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-5-20053.html

高山善行(2005)の問題点(4) 主観と客観の混交
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-6-20054.html

今後も継続する予定です。上記記事並びにその継続記事に対して意見があればコメントまたはメールにて連絡をお願いします。



引用文献
山田孝雄(1908)『日本文法論』(宝文館)
山田孝雄(1936)『日本文法概論』(宝文館)
Reichenbach, Hans (1951) The Rise of Scientific Philosophy.
Popper, Karl (1959) The Logic of Scientific Discovery.
Popper, Karl (1972) Objective Knowledge: An Evolutionary Approach.
野崎昭弘(1980)『逆接の論理学』(中公新書)
北原保雄(1984)『文法的に考える』(大修館書店)
和田明美(1994)『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
Palmer, Frank R. (1979) Modality and the English Modals.  飯島周訳『英語の法助動詞』(桐原書店)
Palmer, Frank R. (1990) Modality and the English Modals. 2nd ed.
村上陽一郎(1994)『科学者とは何か』(新潮社)
Palmer, Frank R. (2001) Mood and Modality, 2nd Edition.
高山善行(2002)『日本語モダリティの史的研究』(ひつじ書房)
安田尚道(2003) 「石塚龍麿と橋本進吉--上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」 『国語学』 54(2), p1-14, 2003-04-01
山本淳(2003)「仮定・婉曲とされる古典語推量辞「む」の連体形」 山形県立米沢女子短期大学紀要 38, 47-62, 2003-06-30
高山善行(2005)「助動詞「む」の連体用法について」 『日本語の研究』  1(4), p1-15, 2005
Priest, Graham (2008) An Introduction to Non-Classical Logic, Oxford University Press.
Cruse, Alan (2011) Meaning in Language: An Introduction to Semantics and Pragmatics (Oxford Textbooks in Linguistics) Oxford University Press. 
高山善行(2011)「述部の構造」 金水敏ら(2011)『文法史』 (岩波書店)の第2章
高山善行(2014)「古代語のモダリティ」 澤田治美編(2014)『モダリティ 1』 (ひつじ書房)に収録
高山善行(2016)「中古語における疑問文とモダリティ形式の関係」 『国語と国文学』 第93巻5号 p29-41