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2016年12月27日火曜日

法廷で争われた査読の妥当性

国語学の論文や著作を読み始めて非論理的な推論が多いことに気付きました。そのことに前回の記事「国語学の論文に特有の非論理的な論理」で触れました。独特の論理が用いられる学会で査読を通る論文を書くにはどうすれば良いかと悩みました。

一方で国語国文系の学会事情に詳しい人から次のような話を聞かされました。曰く、学会の大御所の説に異を唱えるような論文は投稿しても掲載されない。曰く、学会は非常に保守的であり、外部の人間の成果を認めようとしない。

そんな前近代的な審査が行なわれているのだろうか。半信半疑でした。幾つかの学会に論文の審査について尋ねました。そこで分かったのは科学の論文とかなり異なる審査方式だということです。

科学の論文の審査は著者(author)と査読者(reviewer)が対等です。査読者が不受理(reject)と判断した場合、編集委員(editor)は査読結果とその理由を著者に知らせます。それに納得できなければ著者は査読者の結論に反論を書き編集委員に送ります。査読者がそれに反論し、著者が再び反論するなどが繰り返されることもあります。両者が納得しなければ編集委員の判断に委ねられます。

ところが国語学の論文の審査はそのように行なわれないようです。著者は原稿が拒絶されても反論の機会は与えられないそうです。査読者が拒絶して編集委員会が認めればそれで決定だそうです。査読の結果に反論可能な学会は、少なくとも私が問い合わせた中には、ありませんでした。

また、そこには問い合わせていませんが、投稿規定に、原稿に論文の著者の名前を書いてはいけないし、著者が誰であるか分かるような書き方をしてもいけない、と記載するところもありました。裏を返せば、著者の名前で査読結果が左右されるともとれます。ライバルの研究者やライバルの研究グループに属する人物の投稿は意図的に拒絶する。そういう人がいるということでしょうか。あるいは、そのような疑いを持たれるのを防ぐための予防策でしょうか。

知人の言葉と著者の名前を査読者に知らせないような注意書きとから不安になりました。掲載されないのは良いとしてアイデアを盗用されたらどうしようか。意識して盗む人はいないでしょうが、他人から聞いたことを、いつしか自分が昔から考えていたと錯覚することは珍しくありません。過去に誰かが書いたことと同じことがその後の論文に、引用文献を書かずに、つまり自分の説として、書かれていることを国語学の論文でときどき見ます。偶然の一致なのかもしれませんが、そうでないこともあるようです。一例として安田尚道氏の「石塚龍麿と橋本進吉」をあげておきます。

査読の妥当性が法廷の場で問われ、最高裁まで行った例があります。原告の弁護士さんのサイトからの引用です。他に判決文を載せているサイトが見付からなかったためです。私は原告を応援する立場ではありません。

判決文へのリンク



原告の著書や論文を過去に幾つか読みました。勤務先のロジェクトのための事前調査の一環としてです。今回争われた点についてどちらが正しいかの判断は私には出来ません。原告の原稿を読んでいないからです。

興味深いのは裁判所が本件の査読の妥当性について次のような具体的事実を指摘をしている点です。


この観点から,本件拒否行為1をみるに,被告の編集委員会が,専門家である査読者2名の意見を聞き,査読者が, 2名とも原告の本件論文には科学的に論拠が不足しているとし,細部にわたって問題点を指摘したことを受け,2度にわたり原告に原稿を書き直す機会を与えた上で,相応の科学的根拠をもって掲載することはできないと判断したものであるから,不法行為の成立を認めることはできない。


引用部分の要点は、査読者2名の意見、細部にわたって問題点を指摘、2度にわたり書き直す機会を与え、相応の科学的根拠をもって、でしょう。著者に反論を認めない国語学の学会の査読の妥当性が法廷で問われたとき裁判所がどのような指摘をするか興味深いと思います。

知人のコメントの真偽について、私は未だに半信半疑です。それが事実だとしても、競争相手を排除しようという悪意に基くものなのか、単に論理的な推論が行なわれていないだけなのか。

このような裁判はもっと起こされるべきだと考えます。古典文学は国民の財産です。それを正しく解釈すべく学問の発展を推進する義務が国語学の学会にあるはずです。もしも学会が排他的で学問の発展を妨げているなら、それが意図的であれ無意志的であれ、国民の利益に反する行為です。そのような裁判は国民の利益を増進するものです。行動しない限り社会は変わりません。

かつて原告の著書や論文を読んだときの印象は推論に妥当性を欠くというものでした。本件の原稿を見ていないので被告の行なった審査の妥当性については何も言えませんが、原告の行動はあちこちで行なわれているかもしれない妥当性を欠く論文の審査を改善する良い機会になると考えます。ご自身の投稿の査読結果に疑義を感じる方があれば参考にしていただきたいと思います。

本件に関連して次に読んでみたいのはガリレオの宗教裁判の記録です。科学の発展を結果的に妨害するようになった判決がどのような推論で行なわれたかに興味があります。 天動説は神学から演繹されたものだそうです。その推論の中に思い込みはなかったか。星や太陽ではなく大地が動いているという考えに到達するには大きな発想の転換を要します。言われてみればなるほどでしょうが、その発想の転換が難しい。ズハの語法もそうですが、問題が解けないのは問題の難しさよりも心の中に無意識のうちに植え付けられた固定観念が妨害する場合が多いのです。

2016年12月22日木曜日

国語学の論文に特有の非論理的な推論 その1

国語学の論文を読み始めて戸惑ったのは「と思われる」「である蓋然性が高い」「と考えるのが自然である」という独特の推論です。もしも理科系の学生が実験の考察でそのような文章を書けば指導教官から叱責を受けるのは間違いありません。科学とは無縁の主観的な感想でしかないからです。

そのような学生はいないと思われる。そのような学生がいない蓋然性が高い。そのような学生がいないと考えるのが自然である。いずれも違います。日本の高校生が「は」と「が」の使い方を間違えないように、そのような非論理的な推論をする理科系の学生はいるはずがないのです。彼らはそのような非論理的推論をしないように訓練されています。教科書の中に「思われる」などの文言を見ることがありません。自転車に乗るときハンドル操作を意識しないように、無意識のうちに身体に覚えこまされています。

しかし国語学の論文に多用されます。極端に書けば次のようになります。

1-1 AであればBだと思われる。BであればCである蓋然性が高い。CであればDと考えるのが自然である。

そして高らかに宣言します。

1-2 AはDだったのである。

国語学の研究者はこのような非論理的な推論に慣れているかもしれませんが、他分野から来た人は戸惑います。一体この非論理的推論がなぜ学術論文に用いられるのか、と。

1-1は三つの仮定を含みます。しかし多くの場合その検証は一例か二例で行なわれます。

実例を示します。

1-3 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな   万01-0008

1-3の「今は漕ぎ出でな」の「な」は国語学の定説では「願望の助詞」とされます。なぜ願望なのか。上代の願望表現を述べるときに必ず引用される濱田敦(1948a)から引用します。同論文の考察が「願望」という名前の発祥と考えます。


この「な」は例へば、
いざあぎ振熊が痛手負はずは鳰鳥の淡海の海に潜き潜き勢那和   古事記歌謡38
此の丘に菜摘ます児家吉閑名告らさね   万01-0001
の如く、上に述べた「ずは」と云ふ形に伴はれて現れ、又「ね」と相対照して用ゐられてゐる事などから、この「な」が願望表現である事が容易に理解せられるであらう。


最初の古事記歌謡は振熊の軍勢に追われ、勝ち目がないと悟った忍熊皇子が入水する直前に詠んだものです。敗戦は避けようがない。ならば、敵の手にかかるよりは、と考えた結果の入水でしょう。その次は万葉集の冒頭を飾る有名な雄略天皇の御製です。この丘で菜を摘んでいる娘は素敵な籠と素敵な掘り串を持っていると述べ、続けて「家聞かな。名のらさね。」と歌います。

論文の著者は「容易に理解せられるであらう」と書いていますが、願望というのは著者の仮定です。その仮定を著者はこのたった二首で検証しようとしています。

願望と仮定して歌意が通る、すなわち、歌が詠まれた状況に相応しい現代語訳となる、と私は考えません。しかし著者は歌意が通ると考えたのでしょう。もしも歌意が通ったとしても僅か二首での検証は、願望という仮定を担保するに十分でしょうか。

願望という仮説に疑義があるのは次の点です。水の入ったコップを手にする人が「水が飲みたい」と願望するでしょうか。そのような感情を意識する前に水を飲んでいます。もしも願望であれば、水を飲むのに誰かの介助や許可が必要など、自分の意志だけで飲めない場合です。上記の二例も同じです。飛び込もうと思えば飛び込め、聞こうと思えば聞ける状況で願望するでしょうか。

その疑問を別にしても、わずか二例で仮定の検証を終えて良いのでしょうか。それが国語学の論文に特有な論理なのです。財布の中の金がない。お前が盗んだと仮定すれば状況に合致する。したがってお前が犯人である。それと変わりません。

かくばかり恋ひつつあらずは その0 仮説と検証でこのような話をしました。明治時代生糸の出荷港である横浜に西洋の商人たちが住み始めた。英語話者が飼い犬を呼ぶのにCome here!と言った。それを見ていた日本語話者がその発話を「かめや」と聞き、その犬の名前を「かめ」と仮定した。また「かめや」の「や」を日本語と同じ意味と仮定した。すると「シロや」「ポチや」と同じように、「かめ」が犬の名「である事が容易に理解せられ」ました。

明治時代の日本人は英語の真の意味を知らなかった。しかし「歌意」は通った。それと引用した論文の願望の意味の決定の間にどんな違いがあるのでしょうか。

「かめや」も「願望」も不十分な検証しか為されていない仮定です。

かくばかり恋ひつつあらずは その1 従来の仮説で説明したように、否定の条件文として一律に解釈できないとされる「あらずは」を本居宣長(1785)は「あらむよりは」と仮定しました。一方橋本進吉(1951)は「あらずして」と仮定しました。こう書くと、橋本論文は「ずは」が「ずして」の意味を表すことを導いているではないか、と反論する人もあるかもしれません。しかしその「証明」は仮説の追加です。仮説を追加することにより、論理に敏感でない人にそう見えているだけです。そのことは後日説明します。なお論理に敏感かどうかは頭が良い悪いとは別です。日本の高校生が間違えない「は」と「が」の区別を、日本語を学ぶ外国人はどんなに優秀でもしばしば間違えます。その違いは訓練の有無だけです。

宣長説と橋本説のどちらの仮定も特殊な「ずは」を一応は説明します。しかしどの「ずは」も同じ意味に解釈できないのは何故でしょうか。天動説が惑星の運動を説明するために追加の仮定を必要としたように、新たな仮定を要求するのが二人の仮説です。大岩正伸(1942)とそれを継承する小柳智一(2004)が「あらずは」を「あらぬためには」と仮定したのも、濱田敦(1948)とそれを継承する栗田岳(2010)が望まない状況を避けようとする感情が「あらば」と言うべきを「あらずは」と言わせたと仮定したのも、すべて仮定の追加です。しかし国語学の研究者の中にはそれを証明と考える人もあるようです。

そのような複雑な仮説に対して、一つの仮定、すなわち「まし」「てし」「もが」を仮定表現(仮定法)を表す形と仮定することで(事実「まし」は反実仮想とされます)、「ずは」を一律に条件文と解釈できるとするのが本稿の仮説です。仮説は単純なものが優ります。これを「オッカムの剃刀」と言うのだそうですが、自然科学の研究ではわざわざ名前を付ける必要もない当然の考えです。

古語や古代の語法の意味の解釈はすべて仮定とその検証で調べられ、場合によっては不十分な検証のまま定説となってきました。また伝統的な国語学の方法ではしばしば仮定を多数追加して複雑にしてしまっていました。かくばかり恋ひつつあらずは その5 本稿の仮説で述べましたが、伊藤博(1995)の「「ずは」は、集中最も難解な語法で、永遠に説明不可能であろうといわれる。」という予想が有名ですが、それは検証が不十分な仮説をあたかも証明と看做してきた従来の国語学の方法が原因と考えます。論理的に正しい方法を用いさえすれば、既に説明したように「ずは」は単純な仮説で解けてしまいます。

国語学が進歩を停止した学問であるなら、非論理的な論理を許容してきたからです。科学的に正しい推論を用いるならば、従来謎とされてきたことは謎でなくなります。

このブログでは今後も科学の正しい手順を用いて、従来説を再考して行きます。「かくばかり恋ひつつあらずは」で数理論理学の式を用いました。大学教養で習う程度の初歩的なものですが、それでも抵抗を感ずる人があるようです。しかし文学が言語を用いた芸術であるなら、言語の正確な解釈が為されなければ正しい文学の解釈に到達できません。言語は論理から成り立ちます。

言語の論理を解釈するときに自然言語を用いるとしばしば非論理性が覆い隠されます。上代語を正しく解釈するには現代の言語学の主流である数学的な記述を避けて通れません。数式を用いるのは複雑で分かりにくい表現を単純で分かりやすい表現にするためです。もちろんニュートンのプリンキピアのように微積分を使わず自然言語と幾何学だけで力学を説明することは出来ます。しかしプリンキピアがその説明の方法のためにとても分かりにくくなっていることを忘れないでください。

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
濱田敦(1948a) 「上代に於ける願望表現について」 『國語と國文學』 25(2)
濱田敦(1948b) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します) 


2016年12月11日日曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その8 考察

「ずは」の構文は「AせずはB」の形をとります。「AデナイナラバB」は式(6.1)が示すとおり

 (¬A⊃B) ≡ (A∨B)   (6.1)

「AマタハB」という包含的論理和と同値です。数理論理学で式(6.1)の左辺は右辺の略記と定義されます。かくばかり恋ひつつあらずは その6 仮説の検証 マシ型で述べた例文を再掲します。

6-1 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを   万03-0086
構造6-1 ([かくばかり恋ひつつあり]∨[高山の磐根しまきて死なまし])ものを

かくばかり恋ひつつあらずは その2 命題論理で説明しましたが、記号“V"は包含的論理和ですから、AとBの両方が同時に成立する場合を含みます。しかしこの歌の場合意味的に並存できません。[かくばかり恋ひつつあり]か[高山の磐根しまきて死なまし]のいずれか一方が選択されます。

次の歌は選択肢が制限されます。

6-11 言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを   万08-1515
構造6-11 ([言繁き里に住む]∨[今朝鳴きし雁にたぐひて行かまし])ものを

人間は雁のように飛び去ることができません。後件の[今朝鳴きし雁にたぐひて行かまし]は実現不能です。この構文の意味はA(前件の否定)が不可避であることの強調です。

6-21 後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る   万12-3205
構造6-21 ([後れ居て恋ひつつあり]∨[田子の浦の海人ならまし])を

詠者が海人になることは理論的には実現可能です。しかし海人は当時の貴族にとってとてもなりたいとは思わない身分であったでしょう。とすれば、この構文もAが不可避であることの強調です。

次の歌はAが実現不能です。

8-1 三輪山の山下響み行く水の水脈し絶えずは後も我が妻   万12-3014
構造8-1 ([三輪山の山下響み行く水の水脈し絶ゆ]∨[後も我が妻])
解釈8-1 ・・・水脈が絶えない限り(あなたは)将来我が妻

三輪山の麓を流れる泊瀬川の急流を詠んだとされます。その水脈が絶えることなど考えられないと詠者は見ています。Aが実現不能ですから、この構文はBが必然であることの強調です。

なお上代語の「も」は現代語と異なり添加の意味と限りません。この歌は現在妻であり将来も妻であるという意味ではありません。現代語で「船もなし」と言えば他のものがなくその上船もないという意味ですが、上代語では単に船がないという意味になります。「も」の詳細な考察については別稿とします。

8-1と6-11の違いは実現不能なのがAかBだけです。実現不能でない残りの選択肢が不可避つまり必然であることの強調という点で同じです。

では従来説がなぜ8-1を通常の仮定条件文として扱い、6-11などを特殊な「ずは」としたか。ひとつは「まし」を願望と捉えたためですが、もうひとつは式(6.1)の意味に敏感でなかったためと考えます。上代人には当然の論理に現代人が気付かなかったのです。

しかし現代人も同様の表現をします。

8-2 太陽が西から昇らない限り試合に負けない。

8-3 あの人が喜ばなかったらこの夏の盛りに雪が降るよ。

8-2は「絶対に負けない」と同じ意味ですし、8-3は「必ず喜ぶ」と同じ意味です。それぞれ、A(太陽が西から昇る)とB(真夏に雪が降る)が実現不能ですから、選択肢はB(負けない)とA(喜ぶ)に限られます。

上代の「まし」の意味は仮定(反実仮想)と願望です。願望の例を示します。

8-4 吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを   万02-0108

願望の意味は条件文の前件または後件が独立したものと考えます。かくばかり恋ひつつあらずは その5 条件文で同様な表現がロシア語にあることを既に示しました。

次の例を考察します。

8-5 太郎が来ていたら。

8-6 太郎が来ていたら花子は喜んだだろうね。

8-7 太郎が来ていたらパーティが台無しになっていた。

8-5は願望ですが、8-6と8-7の条件文の中では単に条件を示すに留まります。条件文から独立して初めて願望の意味が生じます。とすれば、「ずは」の構文の「まし」も条件文の中では仮定と考えるべきでしょう。条件文から離れたからこそ新しい意味が生じたのです。

現代語に後件だけで願望などの意味を表す用法がないのは「たら」のような指標がないためです。しかし上代語には「まし」という指標がありました。だからこそ後件だけで独立して用いて願望の意味を付加できたのです。

この考えを更に進めると願望の助詞とされる「てし」「もが」も仮定の助動詞でなかったかという推測に至ります。モガ型はかくばかり恋ひつつあらずは その7 仮説の検証 ム型、ベシ型、テシ型、モガ型で検討した一例のみですが、テシ型は他に万葉集に次の歌があります。これは父が息子に贈った歌とされています。

8-8 家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも    万20-4347
構造8-8 ([家にして恋ひつつあり]∨[汝が佩ける大刀になりても斎ひてし])かも
解釈8-8 家で恋しがっていないとすればお前の太刀になって守っているということか(しかし人間が太刀になど成れるはずもないから、こうして家でお前を案じているよりない)

この歌も他に実現不能な選択肢しかないことを示し、前件の「家にして恋ひつつあらず」が不可能、つまりその否定(¬¬A ≡ A)の「家にして恋ひつつあり」が必然であることを示したものです。

もちろん従来説のように、二つの「ずは」を仮定し、一方は条件文とし、他方は条件文でないとする仮説も可能です。しかしそれは天動説が惑星の運動を説明するために仮説を複雑化したのと同じです。仮説は単純であり多数の例に適用可能なものが優れるのです。その上に従来説に従うと「かくばかり恋ひつつあらずは」や「験なきものを思はずは」の歌の意味が単純化されてしまいます。上代人はそんな単純な歌を選んで後世に残そうとしたのでしょうか。本稿の仮説に従った解釈は従来の仮説に従った解釈よりも万葉集の歌の深い意味に迫っていると私は考えます。

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
鈴木朖(1824) 『言語四種論』
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
石垣謙二(1942) 「作用性用言反発の法則」 『国語と国文学』 『助詞の史的研究』(1955 岩波書店)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
佐藤純一(1985) 『基本ロシア語文法』(昇竜堂出版)
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
Robert M. W. Dixon 1994, Ergativity, Cambridge University Press
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します) 

2016年12月7日水曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その7 仮説の検証 ム型 ベシ型 テシ型 モガ型

前節で宣長の24首のうち「まし」で結ぶマシ型の17首について本稿の仮説を検証し、いずれの歌についても本稿の仮説に基けば合理的な解釈ができることを確認しました。

この説では残るム型、ベシ型、テシ型、モガ型を検証します。それぞれ、後件が「む」、「べし、「てし」、「もが」で結ぶものです。初めにム型を検討します。

7-1 後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背   万02-0115

解釈7-1 取り残されて恋していないならば(追いかければ)追い付きます、道が曲がるところに標を結ってください、わが夫よ

7-1は反事実ではなく、未実現の未来を仮定する条件文であると私は考えます。「標結へ」は縄を張れですが、三通りの解釈があります。曲がり角を間違えないように正しい方向を示すため、間違った方向へ曲がらないように進入禁止のため、追跡を防ぐためです。最初の二つであれば追い付くために協力してくれ、最後の説であれば追い付かれないように対策しなさいの意味です。

7-2 剣大刀諸刃の上に行き触れて死にかもしなむ恋ひつつあらずは   万11-2636

解釈7-2 剣大刀の諸刃の上に行き触れて死んでしまうことになるだろうか、恋していないならば

式(6.2)の対偶関係が示すように、恋しているからこそ自暴自棄にならず生きられるという意味です。

7-3 住吉の津守網引のうけの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは   万11-2646

解釈7-3 住吉の津守網引の浮きの緒のようにさまよい歩くことになるだろうか、恋していないならば

7-2と同じく、恋しているから心が満ち足りて落ち着いていられるという意味です.。

7-2と7-3はいずれも恋している現状を肯定する恋愛賛歌と考えます。

ム型に共通するのは、現在はそうだが、将来そうでないとしたらどうなるか、という未来の仮定条件です。

次にベシ型を検討します。次の7-4は「ずは」の語法の例としてしばしば引用されるものです。

7-4 験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし   万03-0338

7-4は宣長説の「つまらないことを考えるぐらいなら酒を飲むべきらしい」あるいは橋本説の「つまらないことを考えずに酒を飲むべきらしい」と解釈されてきました。

他の解釈もあります。本稿が前件目的説と呼ぶ小柳智一(2004)は「甲斐のない物思いをしないのなら[せずにいられるなら]、(利口ぶっていないで)一杯の濁酒を飲むのがよいらしい。」とし、本稿が誤用説と呼ぶ栗田岳(2010)は「無益な物思いをしているなら、酒を飲むのがよい」と現代語訳しました。

また、本稿と同じく「ずは」の構文を条件文とする鈴木一彦(1962)は「(人間卜イウモノハ)ツマラナイ物思イヲシティナイトスレバ(他ノ何ヲスルトイウデモナク)一杯ノ濁酒テモ飲ンデイルベキモノラシイ(ツマランモノサ)」と解釈しました。

本稿の仮説に従えば次のようになります。

解釈7-4 甲斐のないことを考えていないならば、(その人は、あるいは、その時は)一杯の濁り酒を飲んでいるはずであることが他の事実から示唆されている

対偶を取ると「酒を飲まないならば甲斐のないことを考える」となります。「べし」の意味は「したほうが良い」という弱い意味ではなく「しなくてはならない」「するはずである」という必然に近い意味であると私は考えます。そうでないならば「べし」は命令の意味を持ち得ません。また「らし」は現代語よりも強く、何らかの証拠となる事実から示唆されるという意味ととるべきでしょう。「らし」の意味に関する詳細な検討は別稿としますが、話者の主観的な判断ではなく何らかの事実が話者にそのような判断を示唆しているのです。

7-4は積極的な飲酒の奨励と考えます。だからこそ大伴旅人の賛酒の13首の冒頭に置かれたのでしょう。

7-5 我妹子に恋つつあらずは刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを   万11-2765

解釈7-5 あの子に恋していないならば思い乱れて死ぬのが当然というものだが

これも「恋が辛いから死にたい」というものではなく「恋しているからこうして正常な精神状態でいられる」という恋愛賛歌であると考えます。

条件文中の「てし」を願望ではなく仮定法とするのが本稿の仮説の仮定2です。

7-6 なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ   万03-0343

解釈7-6 中途半端に人間でいないならば酒壷になってしまっているのか、とすれば酒に染みてしまうだろう

この歌は前節の6-20と同様に解釈できます。

詠者は次のように考えたのでしょう。

自分は半人前の人間である。できれば、他人から尊敬される立派な人間になりたい。しかし、半人前の人間であるのは自分の精一杯の努力の結果である。もしもそうでないとすれば、人間以外のものでしかない。とすれば、酒好きの自分だから酒壷だろう。なるほどそうか。きっと酒に染みてしまうだろう。

けして酒壷になりたいとは詠者は思っていないと考えます。自分は半人前だと謙遜し、一人前の人間にはなれないのだから半人前の人間でないとすれば酒壷だろうと自嘲しているのです。もちろん、前節の6-7から6-11と6-16のように、さらには6-18と6-21でもその可能性を指摘しましたが、後件は実現不能です。人間が酒壷に成るはずがありません。つまり、半人前の自分の肯定です。

本稿の仮説は条件文中の「もが」を願望ではなく仮定法と仮定します。

7-7 我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ   万04-0734

解釈 私の思いがこのようでないとすれば玉であるだろう、手に巻かれてしまうだろう(しかし思いが強いので一縷の望みにすがって恋し続けているのです)

次の歌は橋本進吉(1951)が宣長説を否定する根拠としたものです。

7-8 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ   万20-4441

この歌は本居宣長(1785)が特殊な「ずは」の例としてあげた24首に含まれていません。特殊でない「ずは」、つまり通常の仮定条件文と解釈できると宣長は考えたのでしょう。

解釈7-8 立ち姿の美しいあなたの姿が私の記憶から去らないかぎり一生恋し続けてしまうでしょう

上代には意図的に忘れる意味の四段活用の「忘る」と自然に忘れてしまう下二段活用の「忘る」がありました。当時の人は忘れることを落ち度と考えず、勝手に記憶が去って行くと捉えたのかもしれません。あるいは、式(6.1)が示す二者択一のうちに片方が不可能な事象であれば、必然的に残りが選択されます。とすれば、よもや忘れるなどということはあり得ないので、必然的に恋し続けるという意味になります。

次の歌は濱田敦(1948)が誤用説の根拠としてあげたものです。

7-9 世の中は恋しげしゑやかくしあらば(阿良婆)梅の花にもならましものを   万05-0819

もしも「梅の花にもなりたい」理由が「かくしある」ことであれば、已然形であるべきです。仮名書きされた「かくしあらば」は他に次の例があります。

7-10 我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば(安良婆)言挙げせずとも年は栄えむ   万18-4124

これは未来を「かくしあらば」と仮定するのですから問題ありませn。しかし7-9の前件の未然形が現在の事実である「恋しげし」を言い表しているとは考えにくい。「ゑや」の意味が不明ですが、詠者は「世の中は恋しげし」に疑問を持っているのではないでしょうか。そうであれば、6-12は次のように解釈されます。

解釈7-9 世の中は恋が盛んである。もしもそうだとすれば梅の花にでもなっていることだろうに(しかしそれは不可能だから、恋が盛んというのは嘘だろう)

詠者は次のように考えたのでしょう。

世間では恋が盛んだと言う。しかし自分はずっと「恋ひつつあらず」の状態から、梅の花にでもなっていることだろう。しかしそんなことはあり得ない。それと同じで恋が盛んというのもあり得ないのではないか。

この歌は「恋に疲れて梅の花にでもなりたい」ではなく「世間では恋愛が盛んと言われるが、そんなことはあり得ない」と言っているものと考えます。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
鈴木朖(1824) 『言語四種論』
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
石垣謙二(1942) 「作用性用言反発の法則」 『国語と国文学』 『助詞の史的研究』(1955 岩波書店)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
佐藤純一(1985) 『基本ロシア語文法』(昇竜堂出版)
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
Robert M. W. Dixon 1994, Ergativity, Cambridge University Press
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します) 

2016年12月6日火曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その6 仮説の検証 マシ型

「ずは」の語法の解釈で重要な役割を演ずるのは次の二つの式です。

(¬A⊃B) ≡ (A∨B)   (6.1)
(¬A⊃B) ≡ (¬B⊃A)   (6.2)

式(6.1)は式(2.2)から、式(6.2)は式(2.6)から、それぞれA=¬Aを代入することで得られます。

例文1-1を6-1として再掲します。

6-1 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを   万02-0086

ここで

¬K = [かくばかり恋ひつつあらず]
S = [高山の磐根しまきて死なまし]

とすれば、6-1は

¬K⊃S    (6.3)

と単純な形になります。対偶(式(6.2))をとれば、

¬S⊃K    (6.4)

です。

式(6.3)に鈴木一彦(1962)の現代語訳「(今、私ハ家ニイテアナタヲ待ッテイマスガ)モシコンナ状態デ恋イ慕ッテイナイトスレバ、(私ハ今ニモアナタヲ迎エニ出カケテ行ッテソノ結果行キタオレテ)高山ノ岩根ヲ枕ニシテ死ンデシマウデショウモノヲ(ジットコラエテ私ハアナタヲ恋イ慕ッテイルノデス)」を適用すると、

¬K = [こんな状態で恋い慕っていない]
S = [高山の岩根を枕にして死んでしゅまうでしょう]

となります。鈴木一彦(1962)は「かくばかり」を「こんな状態で」と見ました。

本稿は「かくばかり」が状態ではなく思いの強さの程度を表すと考えます。

6-2 早く行かないと間に合わない。

6-2の前件の「早く行かない」の意味は出発しないことでなく出発が遅れることを指します。とすれば、¬Aは「恋ひつつある」程度が「かくばかり」未満を意味します。未満ですから、程度がゼロ、すなわち全く「恋いつつあらず」の場合を含むことは言うまでもありません。

このように仮定すると6-1は次のように解釈されます。

解釈6-1a これほど恋していないならば(今頃は)高い山の岩を枕にして死んでいることでしょうに

この歌は「恋が辛いから死にたい」という単純なものではありません。磐姫作とされる前後の歌を見てみましょう。

6-3 君が行き日長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ   万02-0085
6-4 ありつつも君をば待たむ打ち靡くわが黒髪に霜の置くまでに   万02-0087
6-5 秋の田の穂の上に霧らふ朝霞何処辺の方にわが恋ひ止まむ   万02-0088

つまり恋が辛いのではなく、待つのが辛いのです。辛さで死にそうですが、愛する人を思う気持ちを支えに耐えているのです。耐えられるのは思う気持ちが強いからですが、もしもその気持ちがこれほど強くなかったら、とうの昔に死んでいたことでしょう。そう歌っていると私は考えます。

式(6.3)に式(6.2)を適用して式(6.4)から

解釈6-1b 私が待つ辛さに耐えて何とか生きていられるのもあなたを思う気持ちがこれほど強いからです

この歌を4首の歌群から独立して扱えば、次のようにも解釈できます。

解釈6-1c あなたは私を散々辛い目に逢わせました。普通なら悲観して死んでいるところです。私が高い山の岩場に葬られている姿を想像してください。しかし私はあなたをこれほど強く慕っています。だから堪えていられるのです。酷い目に遭っても死んでいないということはそれだけ愛情が強いからです。あなたに相応しい女は私しかいません。

解釈6-1cが成立するとすれば、相手の行動を非難して反省を促し、同時に自らの強い愛情を示して恋敵を退けるという複雑な内容を三十一文字で巧みに表現したものと言えます。だからこそ巻二の巻頭の四首の中に置かれ、「かくばかり恋ひつつあらずは」で始まる多数の類歌を生んだのかもしれません。解釈6-1cはやや深読みすぎるかもしれませんが、参考のために記しました。

「かくばかり恋ひつつあらず」で始まる他の歌も全く同じ構文であり、「これほど恋していないならば・・・(既に)となっている」かつ「・・・でない事実はこれほど恋している証拠である」と解釈されるべきです。

6-6 我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを   万02-0120

これも通釈のような「恋に苦しむぐらいなら花になりたい」ではありません。恋の辛さを嘆くのではなく恋愛賛歌です。

解釈6-6 あの子に恋していないならば秋萩のように咲いて散ってしまう花(のような存在)であったろうに(恋しているからこそ充実した人生を生きている)

6-7 後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを   万04-0544

通釈は「(夫に付いて行かずに)残って思っているぐらいなら(思っていずに)妹背の山でありたい」ですが、本稿の仮説に従い形式的に現代語訳すると、次のようになります。

解釈6-7a 後に残って(夫のことを)思っていないならば紀の国の妹背の山になっているでしょうに

しかし、これでは現代語として意味が通じません。6-7の論理構造は

¬K⊃I   (6.5)
¬K = [後れ居て恋ひつつあらず]
I = [紀の国の妹背の山にあらまし]

です。式(6.1)を式(6.5)に適用すると

(¬K⊃I) ≡ (K∨I)

となります。「恋ひつつあり」と「妹背の山にあらまし」の二つの選択肢がありますが、後者は不可能です。したがってこの論理構造は、選択肢が一つしかないことを強調するものです。同様の論理構造の歌は後に紹介しますが、他にも幾つかあります。上代人は現代人が論理式に書いてやっと理解できる言語の論理を即座に理解できたとするのが前節の仮定3です。

その点を考慮して現代語訳すると次のようになるでしょう。

解釈6-7b 後に残って(夫のことを)思っていないとすれば紀の国の妹背の山になっているしかない(しかしそれは不可能だから、私はここであなたを思って待っているしかない)

6-8 かくばかり恋ひつつあらずは石木にもならましものを物思はずして   万04-0722

この歌も6-7と同様に解釈できます。

解釈6-8 これほど恋していないとすれば、ものを思わない石や木になっていることでしょうに(しかしそれは不可能だから、これほど恋していることを逃れられない)

6-9は大伴坂上郎女が聖武天皇に贈った歌です。

6-9 外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを   万04-0726

この歌も6-7や6-8と同じ論理構造です。

解釈6-9 外に居て恋していないとすればあなたの家の池に住むという鴨として存在しているでしょうに(しかしそれは不可能だから、私は離れた場所からあなたを思って待っているしかない)

6-10 後れ居て長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを   万05-0864

解釈6-10 取り残されて長いこと恋しがっていないとすれば御園生の梅の花になっていることでしょうに(しかしそれは不可能だから、私はこうして恋しがっているしかない)

6-11 言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを   万08-1515

解釈6-11 噂の絶えない里に住んでいないとすれば今朝鳴いていた鴨と一緒に飛び去っていることでしょうに(しかしそれは不可能だから、私はこの噂の絶えない里に住み続けるしかない)

以上の6-7から6-11の歌は式(6.1)の示す選択肢の限定ですが、いずれも後件は不可能です。したがって、現実的な選択肢は前件の肯定以外にありません。このように二つの選択肢の一方が不可能な場合、その意味は残る選択肢が必然であることを強調して述べるものと考えます。

6-12 秋萩の上に置きたる白露の消かもしなまし恋ひつつあらずは   万08-1608

解釈6-12 秋に咲く萩の花の上に降りた白露のように消えてしまっているのだろうか、恋していないならば

けして消えてしまいたいと願っているのではなく、恋しているからこそ生きていると詠者は考えているのです。

6-13 秋の穂をしのに押しなべ置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは   万10-2256

解釈6-13 秋の稲穂を隙間なく押し傾けて降りた露のように消えてしまっているのだろうか、恋していないならば

6-14 秋萩の枝もとををに置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは   万10-2258

解釈6-14 秋に咲く萩の枝もたわわに降りた露のように消えてしまっているのだろうか、恋していないならば

6-15 長き夜を君に恋ひつつ生けらずは咲きて散りにし花ならましを   万10-2282

解釈6-15 長い夜の間あなたのことを思って生活していないならば咲いて散ってしまった花になっていたでしょうに

詠者は花になりたいのではなく、恋しているからこそ生まれて死ぬだけの人生を送らずにすんだと考えています。

6-16 かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ地にあらましを   万11-2693

解釈6-16 これほど恋していないとすれば朝に昼にあの子が踏むだろう土として存在しているだろうに(しかしそれは不可能だから、これほど恋していることを逃れられない)

これも宣長説や橋本説のように土になりたいというのではなく、6-7から6-11の歌と同じく、選択肢を現状の前件と実現不能な後件に限定することで前件が必然であることを強調しています。

6-17 白波の来寄する島の荒礒にもあらましものを恋ひつつあらずは   万11-2733

解釈6-17 白波が寄せ来る島の荒涼とした磯にいることだろうに、恋していないならば

この歌は一種の恋愛賛歌であって、恋しているからこそ自暴自棄にならずにいられると歌ったものと考えます。

6-18 なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ   万11-2743

解釈6-18 中途半端な気持ちであなたに恋していないとすれば、比良の浦の漁師になっているでしょう、玉藻を刈り続けて

6-19 いつまでに生かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死なましものを   万12-2913

解釈6-19 いつまで生きる命なんだろう、概ね、恋していないとすればもう死んでいるようなものなのに

これも恋こそが人生だという考えが根底にあると考えます。

6-20 なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり   万12-3086

解釈6-20 中途半端に人間でないとしたら蚕になっていることだろうに、あの玉の緒ほどの長さしかない蚕に

詠者は次のように考えたのでしょう。

自分は半人前の人間である。できれば他人から尊敬される立派な人間になりたい。しかし半人前の人間であるのは自分の精一杯の努力の結果である。もしもそうでないとすれば、人間以外のものでしかない。小人物の自分よりも更に小さな存在である蚕ぐらいだろう。玉の緒ほどの長さしかないあの蚕である。とすれば、半人前でもまだ幸せというものである。

けして蚕になりたいとは詠者は思っていないと考えます。むしろ半人前の自分を肯定しています。

6-21 後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る   万12-3205

これも二者択一です。

解釈6-21 取り残されて恋していないとすれば田子の浦の漁師になっているだろう、玉藻を刈り続けて

当時の貴族の感覚では海人になることは考えられないことだったかもしれません。そうであれば、貴族にとって海人になることは実現不能です。とすれば、6-18と6-21はともに現実が必然であると強調している意味になります。つまり6-7から6-11や6-16と同じ論理構造です。

マシ型に共通するのは、事実はそうだが、もしも現在あるいは過去にそうでなかったとしたら、という反事実の仮定条件です。

(追記)

以下の歌にかんして、私は断定を避けていました。

6-9 外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを   万04-0726

当初は次のように解釈しました。


解釈6-9(旧版) 外に居て恋していないとすればあなたの家の池に住むという鴨として存在しているでしょうに

これも式(6.1)の選択肢の限定です。今はあなたの家から離れた場所で恋い慕っている。そうでなくあなたの家の敷地の中にいるとすれば人間ではなく池に住むと言う鴨の一羽として存在しているでしょう。自分を卑下しているのか、鴨になってでも家の中にいたいのか、鴨などになりたくないから今の状況を肯定するのか。そのいずれであるかは分かりません。


これに対して、三重県の鈴木昌司氏から、人間が鴨になることは今も昔も不可能である、同様の解釈を他の歌にも適用すべきである、という趣旨の指摘を受けました。鈴木氏の指摘の通り、現代だろうと上代だろうと、人間が鴨になることは不可能です。従来説を乗り越えるつもりが、従来説に引きづられていたと反省しました。6-10、6-16、6-18も同様に改めました。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
鈴木朖(1824) 『言語四種論』
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
石垣謙二(1942) 「作用性用言反発の法則」 『国語と国文学』 『助詞の史的研究』(1955 岩波書店)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
佐藤純一(1985) 『基本ロシア語文法』(昇竜堂出版)
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
Robert M. W. Dixon 1994, Ergativity, Cambridge University Press
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します) 

かくばかり恋ひつつあらずは その5 本稿の仮説

従来の仮説は「ずは」の語法を一律に仮定条件文として解釈できていません。

本稿は次の仮定からなる仮説に基きます。

仮定1 「ずは」の構文を一律に否定の仮定条件文として扱う。
仮定2 後件に現われる「まし」「てし」「もが」は願望でなく反事実または未来の仮定表現とする。
仮定3 上代人は現代人以上に言語の論理に敏感であった。

本稿は「ずは」の構文をすべて仮定条件分として扱います。そのために仮定1を置きます。同様の試みは従来提案されてきました。しかしながら、少なくとも現時点で、その意味の現代語訳を示したものはありません。企業の研究者や技術者は年間一件乃至二件の特許出願のノルマを課せられることが多くあります。具体的手段を示さずに方針だけを書いて出願すれば「発明者の希望を述べたものにすぎない」という定型文を理由に拒絶されます。本稿の仮説が「希望を述べたものにすぎな」くないことを示すために、具体的手段である現代語訳を付した検証を次節以降で行ないます。

万葉集の注釈書の殆どが宣長説に従っています。その原因は助動詞の「まし」「てし」「もが」が願望を表すとしたためだと考えます。そのように解釈する限り、「ずは」の構文を一律に否定の仮定条件文として扱えません。それが仮定2を置く理由です。「まし」等の意味を願望と固定して「ずは」の解釈を適合させたのが宣長説や橋本説などの従来の仮説であるならば、本稿は「ずは」の意味を否定の条件文を表すと固定して、「まし」の意味を再解釈します。伊藤博(1995)の「「ずは」は、集中最も難解な語法で、永遠に説明不可能であろうといわれる。」という予想が有名ですが、本稿の方法によって初めて、後の節で述べるように、「ずは」の語法を仮定条件文として一律にかつ合理的に解釈できました。

ここで「ずは」と「まし」の時制(tense)を確認します。

万葉集に「ずは」は60余例ありますが、いずれも時制から独立です。5-1は過去、5-2は恒常状態、5-3は未来の記述です。

5-1 初めより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに逢はましものか   万04-0620
5-2 験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし   万03-0338
5-3 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ   万20-4441

「まし」は完了、回想などの助動詞を下接させません。5-4は現在と未来の例、5-5は過去の例です。

5-4 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし   万02-0159
5-5 あらかじめ君来まさむと知らませば門に宿にも玉敷かましを   万06-1013

このように「ずは」も「まし」も時制から独立です。鈴木朖(1824)は用言を「形状の詞(ありかたのことば)」と「作用の詞(しわざのことば)」に分類しました。イ段で終わるものが前者、ウ段で終わるものが後者です。石垣謙二(1942)はそれを発展させ、助動詞を含めて、活用語を形状性用言と作用性用言に分類しました。本稿に関係するものに限定すると、「べし」「ず」「じ」「む」「まし」は石垣氏の分類で形状性用言です。簡単に言うと形容詞の仲間です。

「ずは」や「まし」がここに示したように時制から独立である理由の一つは、それらが鈴木氏の言う「形状の詞」、石垣氏の言う「形状性用言」だからであると私は考えます。この点に関して詳細な論考を用意していますが、それは別稿とします。現時点では海外の言語学の論文誌へ投稿する予定です。

次に仮定2の背景を説明します。科学論文の仮定に理由は不要ですが、何故そう仮定したかは多くの方が興味を持つことでしょう。

「まし」には「反実仮想」と「願望」の意味があるとされます。この「願望」の意味は「反実仮想」つまり「仮定法」の意味から生じたと私は考えます。

願望表現の成立の詳細は別稿とします。ここではロシア語の例を述べるに留めます。ロシア語の仮定法と願望表現の関係は上代語の「まし」と良く似ています。

以下、佐藤純一(1985)から例文とその和訳を引用します。下線と鍵括弧内の注釈は私が付けました。丸括弧内の注釈は著者の佐藤氏によるものです。

まず、ロシア語の仮定法に時制がないことを示します。


Если бы вчера была хорошая погода, мы поехали бы за город.
もしも[если]昨日[вчера]良い天気[хорошая погода]だったら、私たち[мы]は郊外に[за город]出かけたのだが。

Если бы сегодня была хорошая погода, мы поехали бы за город.
もしも今日[сегодня]良い天気なら、私たちは郊外へ出かけるところだが。

Если бы завтра была хорошая погода, мы поехали бы за город.
もしも明日[завтра]良い天気になるようなら、私たちは郊外へ出かけることもあるだろう(しかしこれは全くの仮定だからどうなるかはわからない)。

仮定法は動詞の過去形と小辞быを組み合わせて作ります。下線の部分が仮定法です。小辞быの位置は動詞の前でも後でも良い。ただし、еслиがあるときはその後ろに置かれます。最後の文のпоедемは一人称複数の直説法現在です。時制がない点および条件節でも結果節でも仮定法が使われる点で上代語の「まし」と全く同じです。

ロシア語では条件節や結果節だけを用いれば願望の表現になります。結果節だけの例を同書から引用します。


Я пошёл бы с удовольствием
(お誘いがあれば)喜んで参ります。

Я погулял бы ещё немного.
もうしばらく散歩していたいものです。

上代語の「まし」の願望の意味がロシア語と同様に仮定法から発生した可能性を否定できません。とすれば、「てし」「もが」もかつては仮定を表現するものだった可能性があります。これが仮定2の背景です。

次に仮定3を仮設した背景を述べます。

ともすれば古代人の思考は単純であると思う向きもあるかもしれません。しかし、少数民族の言語研究者のDixon(1994)が記述するように、未開される民族の言語も驚くほど豊かで複雑なことを表現できます。彼らが文明人とされる人々の言語を話すときはその言語に習熟していないことが原因で単純な会話にもなるでしょうが、母語を使用する限り論理は一貫しているとDixonは言います。

稗田阿礼が古事記をすべて暗唱していたことには疑問もありましたが、アイヌ民族のユーカラの存在がその疑いを払拭しました。何日もかけて語られる長大な物語が口伝だけで伝えられてきました。それは何もユーカラに限りません。文字を持たない時代や民族には同様の長大な叙事詩が存在します。カエサルの『ガリア戦記』によれば、ガリア人の司祭は記憶力が損なわれるとして文字を受け入れなかったと言います。

文字や書物が記憶力を減退させ、自動車や鉄道が脚力を弱めたように、時代とともに増大する知識や言語活動以外に振り向ける時間の増加が、上代人にはあった言語の論理を処理する優れた能力を近世や現代の人類から奪ったのではないでしょうか。上代は詠歌が教養人の重大な関心事であった時代です。現代人が失った論理的思考力を当時の教養人は身に付けていたと私は素朴に信じたい。

事実、万葉集の有名な歌を用いて本稿の仮説を検証すると、従来の解釈とは異なる深い意味が浮かび上がります。論理的思考能力に優れる上代人が即座に理解した言語の論理を、私は論理式を用いることではじめて理解できました。「ずは」の語法が難解とされてきた理由もそこにあると思います。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
鈴木朖(1824) 『言語四種論』
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
石垣謙二(1942) 「作用性用言反発の法則」 『国語と国文学』 『助詞の史的研究』(1955 岩波書店)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
佐藤純一(1985) 『基本ロシア語文法』(昇竜堂出版)
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
Robert M. W. Dixon 1994, Ergativity, Cambridge University Press
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します) 

2016年12月5日月曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その4 従来説の検討

本節の目的は従来説の論理構造を明らかにすることです。

特殊でない「ずは」の例をあげます。

4-1 見わたせば近きものから岩隠りかがよふ玉を取らずはやまじ    万06-0951

4-1を論理式で書けば、

T = [玉を取る]
Y = [止まむ]

として、

¬T⊃¬Y    (4.1)

です。これは仮定条件文です。

「ずは」の構文の中には条件文として解釈できない特殊なものがあるというのが宣長説や橋本説です。宣長は万葉集から24首の例をあげました。その中で結果節に「まし」があるものが17首あります。これをマシ型とします。マシ型は稿者が数えると万葉集中に22首ありました。そのうち宣長の24首から漏れたものは5首しかありません。

マシ型のうち特に問題となるのが次の例です。

4-2 なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり    万12-3086

これを4-1と同じ条件文と解釈し、「まし」を願望の意味とすると、次のようになります。

¬H⊃K    (4.2)

ここで、

¬H = [なかなかに人とあらず]
K = [桑子にもならまし]

です。すると既に人間でない状態で蚕になることを願うという奇妙な意味になります。これが「ずは」の語法が難解とされてきた理由です。それを解決するために様々な仮説が提出されてきました。

宣長説の「んよりは」はその解決手段の一つです。つまり、

H = [なかなかに人とあらむ]

として、¬Hの「ず」を未来の状態と見るのです。

否定条件文が選択肢を限定することは既に述べました。式(4.2)は式(2.2)を用いて次のように変形できます。

¬H⊃K ≡ H∨K     (4.3)

式(4.4)は[なかなかに人とあらむ]マタハ[桑子にもならまし]と選択肢を限定するのみで、どちらか一方が選ばれることまでは表現しません。

式(4.3)の選択肢からKを選ぶというのが宣長説です。そうであれば4-2は次のように表現できます。

(¬H⊃K)⊃E(K)   (4.4)

ここで

E(X) = [Xを選んで実行する」

です。

とすると宣長説は仮定条件文の痕跡を残しています。これが多くの解説書に好まれる理由かもしれません。

橋本説は特殊な「ずは」を初めから条件文とは見ません。特殊な「ずは」の「は」は軽く添えたものと言います。たとえば4-2を

¬H∧K    (4.5)

と解釈します。橋本説が問題とするのは次の例です。

4-3 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ    万20-4441

宣長説を4-3に適用すると、

(¬W⊃K)⊃E(K)   (4.6)

と書けます。

橋本説は

¬W∧K     (4.7)

となります。積極的に忘れないことを意図します。

¬A⊃Bの構文で宣長説の現代語訳が好ましいとされる条件は、第一にAとBのどちらも好ましくない場合、第二にAとBが意味の上で対立し、Bを選べば自動的Aが棄却される場合です。第一の場合、辛うじてBを選ぶという点で宣長説の「よりは」が活きます。第二の場合、宣長説と橋本説は意味の上で殆ど同じです。橋本説が好ましいのはAが好ましくなくBが好ましい例文4-3のような場合です。しかし4-3は宣長の24首に含まれていません。書き忘れでなければ、たぶんそのようなことはないと思いますが、宣長は4-3を特殊な「ずは」と看做していなかったことになります。

宣長説と橋本説はすべての「ずは」に一律に適用できません。例えば、4-1に適用すると、それぞれ、「玉を取らむよりはやまじ」、「玉を取らずしてやまじ」となり意味をなしません。だからこそ、特殊な「ずは」の存在を仮定したのでしょうが、上代人の言語の論理はそれを許容するほど曖昧であったでしょうか。

濱田説は

¬A⊃B     (4.8)

の構文のうち特殊な「ずは」とされるものの意味を

A⊃B     (4.9)

と解釈するものです。

本来Aとすべき前件を¬Aと発話した理由を濱田敦(1948)は「「こんなにいつまでも徒に恋に悩んでいたくない」という気持が話者に存する為に、それが打消の「ず」となって、現るべからざる「かくばかり恋ひつつあらば」という条件句の中に置かれるに至ったもの」と述べ、その例としてPaul (1920)の例文を引用しています。

しかし、このような非論理的否定をPaulは混成(Kontamination)と説明しています。感情ではありません。Paulの説明を要約すると以下のようになるかと思います。複文は独立した単文から作られるが、dassで導かれる副文に元の単文の否定辞が残された。その痕跡が18世紀のドイツ語の中にも残っている。ドイツ語の原文は以下にあります。

Paul (1920)の説明を日本語で行なえば次のようになるでしょう。

4-4 火事にならないか。
4-5 心配である。
4-6 火事にならないかと心配である。

4-4と4-5の単文から4-6の複文が作られる時、単純に二つの文を並べたために4-6のように元の文の否定辞が持ち込まれたのです。それがKontaminationです。このような現象はギリシア語にもあります。恐怖や危惧を表す動洞が主文にある時、内容を表す従属節は否定辞μήで導かれます。たとえば田中美知太郎(1962)に説明があります。なお、この本を引用したのは私が大学の教養課程で古典語を履修したときの参考書だったからです。現在はもっと良い本があると思います。

上のリンク先を読めばPaul (1920)を濱田(1948)が誤読したことは明らかですが、もちろん、そのことだけから誤用説が間違いであるとは断定できません。

問題はこのような誤用を当時の知識階級である詠者や万葉記者が容認したかです。現代ほど娯楽のない時代です。和歌が教養を示す重要な手段でもありました。当時の人々は現代人以上に言語の論理に敏感だったと私は考えます。現代の新聞記事でさえ「ら抜き言葉」は訂正されて掲載されます。詠者が間違うだろうか。さらに万葉記者が誤用をそのまま載せるだろうか。誤用だと仮定すれば歌意は通りますが、歌意が通るからと言って誤用と言えないのは言うまでもありません

前件目的説はどうでしょうか。現代語の例を示します。

4-7 収入が増えるならば転職したい。

これを前件が結果、後件が原因と見て、因果が逆行する構文と見る考えもあります。しかし4-4の論理構造は

(T⊃H)⊃N(T)     (4.10)

です。4-7は前件が条件文であり、その条件文の前件が省略されたものにすぎません。ここで、

H = [収入が増える]
T = [転職する]
N(X) = [Xを望む]

です。前件がHでなく(T⊃H)であることに注意してください。4-4は([転職する]ナラバ[収入が増える])ナラバ[転職したい]という二重含意関係の表現です。問題はこのような省略を上代語が行なったかです。

不可能説を検討する前に不可能の意味を確認します。ここで様相論理を使います。と言っても、記号が二つ導入されるだけです。命題Aが不可能とは¬Aが必然であることと同値です。必然と可能を次の記号で表すことにします。不可能説を成立させるために、必然と可能は、それぞれ、近未来に必然、近未来に可能の意味とします。その条件がないと、不可能なことは現在成立しないことになってしまいます。

□A = [近未来にAが必然]    (4.11)
◇A = [近未来にAが可能]    (4.12)

Aが必然とは、可能なあらゆる場面(これを様相論理で「到達可能な世界」という)のいずれでもAが成立することであり、Aが可能とは、可能なあらゆる場面のいずれかでAが成立することです。たとえば、サイコロを振って、1から6までのいずれかの目が出ることは必然であり、一回で1の目が出ることは可能です。しかし7の目が出ることは不可能です。これは7の目が出ないことが必然であるとも言えます。したがって、

□¬A = ¬◇A    (4.13)

です。

不可能説に従うと、4-2は次のように書けます。

□¬H⊃K    (4.14)

ここで、

¬H = [なかなかに人とあらず]
K = [桑子にもならまし]

です。つまり近未来に[なかなかに人とあらず]が必然になるナラバ、あるいは、近未来に[なかなかに人とあり]が不可能となるナラバ[桑子にもならまし]と願望する、という意味です。

次の例はどうでしょう。

4-8 験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし    万03-0338

これは

□¬O⊃N    (4.15)

と書けます。ここで、

¬O = [験なきものを思はず]
N = [一杯の濁れる酒を飲むべし]

です。

近未来に[験なきものを思はず]が必然、つまり、近未来に[験なきものを思ふ]が不可能とはどう言う意味でしょう。常識的にあり得ません。したがって、不可能説は宣長の言葉を借りれば、「ずは」のすべてを「一つに貫きて」扱えません。

以上、従来の各説を縦覧しました。完全に誤りと言えるものはないが、すべての「ずは」を全く同一に扱って矛盾がないものもありません。そのために万葉集の解説書の多くが宣長説に拠っているのでしょう。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

かくばかり恋ひつつあらずは その3 条件文

例文3-1は否定条件文です。

3-1 太郎が犯人でないならば花子が犯人である。

ここで

T = [太郎が犯人]
H = [花子が犯人]

とすると、例文3-1は次のように書けます。

¬T⊃H    (3.1)

式(2.2)を用いると

(¬T⊃H) ≡ (T∨H)    (3.2)

です。つまり3-1の意味は

T∨H = [太郎が犯人]マタハ[花子が犯人]

と同値です。つまり、犯人は太郎マタハ花子に限定されます。包含的論理和ですから二人が共犯の場合を含みます。このように

¬A⊃B

の形の否定条件文は選択肢がAマタハBに限定される意味になります。念の為にA∨Bの二重否定をとった上でド・モルガンの法則を用いて次のように変形してみます。

(A∨B) ≡ (¬¬(A∨B)) ≡ (¬(¬A∧¬B))    (3.3)

つまりAマタハBはAデナイカツBデナイの否定でもあり、太郎と花子がともに犯人でないことがないと主張します。もちろん、例文3-1が真であるか偽であるかは確定しません。あくまでも話者の意見であり、話者がT∨Hが真であると信じ、そう主張しているにすぎません。

条件文が因果関係と独立であることが「ずは」の解釈ではしばしば見過ごされてきました。例文3-2はどうでしょう。

3-2 毒を飲めば死ぬ。

D = [致死量以上の毒を飲み、その後に吐き出すことや解毒剤を飲むことをしない]
S = [死ぬ]

とすると、

D⊃S (3.4)

と書けます。式(3.4)が主張するのはDナラバS、つまりDが真であるときSが真であることのみであり、Dが原因でSが生じるとまでは言っていません。因果関係は偶然付随するだけです。因果関係が逆の例文を示します。

3-3 食中毒を発症したならば付属の食堂で食事をしていた。

C = [X年Y月Z日から数日以内に企業または学校Wに所属する人が食中毒を発症した]
T = [発症の数日前に社員食堂または学校の食堂で食事していた]

C⊃T    (3.5)

中毒は食べたことが原因で起こったのですから、条件文では前件が結果であり後件が原因です。

このように条件文は前件と後件の関係を主張するに過ぎません。因果関係には独立です。

逆は必ずしも真ならずと言います。A⊃BからB⊃Aとは言えません。それにもかかわらずそのような主張をするのを前件否定の誤謬と言います。A⊃Bから¬A⊃¬Bを導くこともこの誤謬です。しかし現実にはそのような推論が行なわれることがあります。式(2.5)に示すように対偶は常に同値です。

つまり、

(¬A⊃¬B) ≡ (B⊃A)

ですから、A⊃BからB⊃Aを導くこともA⊃Bから¬A⊃¬Bを導くことも同じ誤謬なのです。

Geis and Zwicky(1972)は前件否定の誤謬に陥ることを誘因的推論(invited inference)と呼びました。次の例を考えます。

3-4 バカは死ななきゃ治らない。

S = [死ぬ]
N = [バカが治る]

とおくと、例文3-4の主張は

¬S⊃¬N    (3.6)

です。これを

S⊃N    (3.7)

と解釈するのが誘因的推論です。

式(3.6)に式(2.2)と式(2.9)を用いると、

(¬S⊃¬N) ≡ (S∨¬N) ≡ (¬(¬S∧N))    (3.8)

が得られます。つまり例文2.4は森の石松の無鉄砲振りが[死ぬ前に治る]ことが偽であると言うにすぎません。けして式(3.7)のように[死ねば治る]とは主張していません。もしも文例3-4を式(3.7)の意味に解釈する人が現代人の中にあるとすれば、それは医学の発達と関係があるかもしれません。[手術しないと治らない]を[手術すれば治る]と誤解するのは、医師がそのように発話する場合手術の成功に自信があるからです。しかし例文3-4の表現が誕生したときはどうでしょう。そのような誤解が生じかねないのならば、そもそもそのような表現は行なわれなかったはずです。
もう一つ例を挙げます。

3-5 仕事の邪魔をしたら明日映画に連れていかないよ。

そう言われた子どもはおとなしくしていれば映画に連れて行ってもらえると考えます。誘因的推論はJ⊃¬Eから¬J⊃Eを推論するのですが(ここで、Jは[邪魔する]、Eは[映画に連れて行く]です)、そう推論するのは事前に映画に連れて行く約束をしていたか、あるいはGriceの公準(Grice's Maxims)にある量の公準、「必要以上のことは言うな(Do not make your contribution more informative than is required)」があるからです。もしも映画に連れて行く予定がなかったら、言及するはずがありません。誘因的推論は興味深い研究テーマではすが、理由なく発生するものでありません。

本節の最後に自然言語の論理の問題に触れます。例えば、次の例はどうでしょう。

3-6 試験を受けないと合格しない。

ここで、

U = [試験を受ける]
G = 「合格する」

とすれば、例文3-6は、

¬U⊃¬G    (3.9)

です。

式(3.9)からU⊃G(受ければ合格する)と推論する人は希です。殆どの人が試験を受けても合格しない現実を知っています。なお対偶のG⊃Uは3-7でなく3-8です。

3-7 合格するならば試験を受ける。
3-8 合格した状態にあるならば試験を受けた状態にある。

現代日本語の動詞終止形は一般的事実と未来を表します。例文3-6は一般的事実であり、過去でも未来でも、どの場所でも、当事者が誰でも成立します。これに対し、例文3-7は特定の時刻の特定の人物の未来の動作です。式3-7は

(U⊃G)⊃M(U)     (3..10)

と書けます。ここで、

M(X) = [未来に動作Xを行なう]

とします。式(3.10)の意味は「試験を受けるならば合格するということが真であるならば未来に試験を受ける」です。また、動詞終止形を用いて「AするならばBする」と言ったとき、Bの動作はAと同時かその後に行なわれると解釈されます。以上が3-7が3-6の対偶にならない理由です。なお過去の指標の「た」があるときは、時間的順序が義務的になりません

3-9 合格したならば試験を受けた。

例文3-9は一般的事実の表現と見れば、3-6の対偶です。個人の感想と見れば、3-7の過去です。一般的事実と解釈されうるのは時間的順序が義務的でないからです。

このような現象は現代日本語に限らずどの言語にもあります。自然言語を用いた解釈は常に論理の誤解の危険性を伴います。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

かくばかり恋ひつつあらずは その2 命題論理

ニュートンの『プリンキピア』は難解と言われます。難解なのは内容ではなく説明です。数式を使えば数行で済む証明を自然言語と幾何学を用いて行なうため、専門の研究者でも推論を追うのに骨が折れます。自然言語を記号で置き換えることにより説明が圧縮され、見通しが良くなります。本稿が記号論理を用いる第一の理由はその点です。

現代語は上代語の延長であるから、現代語に変換(現代語訳)して意味が通れば良いという考えは危険です。上代語と現代語の単語や句、構文の間に一対一の対応が保証されてないからです。例えば現代人が掛け算を忘れてしまったとします。上代語の中に、0×0 = 0や2×2 = 4を見出したとき、0+0 = 0や2+2 = 4と比較して、上代語の“×”は現代語の“+”と同じ意味だと結論するかもしれません。また、1×1 = 1を見たとき、それを特殊な“×”と分類するかもしれません。同様のことが「ずは」の構文の解釈で行なわれないとは言えません。また、上代人と現代人の言語の論理の表現の仕方が一対一に対応するとも言えません。上代語では異なる論理が同一の表現に口語訳され、そのために上代語の論理を見誤る可能性があります。記号を用いる第二の理由はそれを防ぐためです。

たとえば、英語の進行形と日本語の「ている」は似てはいますが、一対一には対応しません。

2-1 He is walking.
2-2 They are arriving at the airport.
2-3 I am living in Tokyo.

この中で「ている」と訳せるのは2-1だけです。2-2は未来を、2-3は一時的な行為を表します。上代語を現代語訳して意味を解釈する方法は、こらを一律に「ている」と和訳するのと同じことを行なう可能性があります。

条件文を論理式で書くと次のようになります。

A⊃B    (2.1)

ここでAとBは命題を表します。命題は「真」か「偽」かいずれかの真偽値を持ちます。論理記号“⊃”は論理包含を表し、「ナラバ」と読みます。式(2..1)の意味は「Aが真であるときBが真である」です。日常語の「ならば」はしばしば因果関係を示唆しますが、記号論理学の「ナラバ」は因果関係と独立です。つまり、因果関係はあっても良いし、なくても良い。因果関係がある場合も、Aが原因でBが結果でも良いし、Aが結果でBが原因でも良い。

A⊃BはAが偽の場合には言及していません。従って、Aが偽の場合はBの真偽値によらずA⊃Bは真です。A⊃Bは¬A∨Bと同値です。これを

(A⊃B) ≡ (¬A∨B)    (2.2)

と書きます。

記号“≡”は同値関係を表します。A⊃Bと¬A∨Bの真偽値はAとBの真偽の組み合わせの四通りに応じて真偽値が変化しますが、同じ組み合わせの場合に同じ真偽値を持ちます。例えば、Aが真でBが真の場合に両者は真であり、Aが真でBが偽の場合に両者は偽です。

記号“ ¬”は否定を表わし「デナイ」と読みます。¬Aは「Aデナイ」であり、Aが真のとき¬Aが偽であり、Aが偽のとき¬Aが真です。したがって、

A = ¬¬A   (2.3)

です。

記号“∨”は包含的論理和を表し、「マタハ」と読みます。A∨BはAまたはBの少なくとも一方が真であれば真です。日常語の「または」はしばしば排他的論理和であり、AとBがともに真であるとき偽とされます。例えば「当選者には商品Aまたは商品Bを差し上げます」は商品Aと商品Bの両方を与える場合を除きます。

上記以外に本稿で使用する論理記号に記号“∧”があります。この記号は論理積を表わし、「カツ」と読みます。A∧BはAとBがともに真であるときに限り真です。つまり、AとBの少なくとも一方が偽であればA∧Bが偽であす。

以上紹介した論理記号のみに限定すると、その結合力は否定“¬”(デナイ)が最も強く、含意“⊃”(ナラバ)が最も弱い。論理和“∨”(マタハ)と論理積“∧”(カツ)はその中間です。したがって、¬A∨Bは(¬A)∨Bであって¬(A∨B)でなく、A∧B⊃Cは(A∧B)⊃CであってA∧(B⊃C)でありません。

日常語との混乱を避けるために、以下、デナイ、ナラバ、マタハ、カツと記したときは記号論理学の意味に限定します。また、命題の内容は前後に鍵括弧[]を置くことにします。本稿で用いるのは最も初歩的な命題論理(propositional logic)であり、登場する記号は上記のものに限られます。

式(2.2)から対偶が同値であることが導かれます。対偶とは前件と後件を入れ替えそれぞれの否定を取ったものです。

(¬B⊃¬A) ≡ (¬¬B∨¬A)    (2.4)

二重否定¬¬Bは肯定Bと同値です、論理和は交換法則を満たすので、

(¬B⊃¬A) ≡ (B∨¬A) ≡ (¬A∨B)    (2.5)

式(2.2)と式(2.5)から、

(A⊃B) ≡ (¬B⊃¬A)    (2.6)

です。論理式で書けば単純な式(2.2)と式(2.6)の意味が従来の「ずは」の語法の解釈でしばしば見過ごされてきました。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

かくばかり恋ひつつあらずは その1 従来の仮説

万葉集や記紀歌謡にあらわれる「ずは」の語法は60余例ありますが、その半数近くは条件文と看做せないと言われてきました。たとえば次の歌で。このような「ずは」特殊な「ずは」と呼ばれます。 以下、これまでに提出された主な仮説を記します。

本居宣長(1785)は特殊な「ずは」を「んよりは」と読み替える仮説を提案しました。

1-1 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを 万03-0086  

つまり宣長の解釈は「かくばかり恋ひつつあらんよりは」です。小学館の新編全集は宣長説に従うとした上で「これほどに恋しいのだったら高山の岩を枕にして死んでしまう方がましです」と現代語訳しています。注釈に「このズハは上代語法の中で最も難しい問題の一つ」とあります。  

宣長はこの1首だけから「んよりは」の仮説を立てたのではありません。『詞の玉緒』には24首を万葉集から引用しています。万葉集には「ずは」の歌が60余例あります。宣長が引用しなかった「ずは」の歌はそのような読み替えが必要ないと判断したからだと思います。たとえば次の歌です。 

1-2 衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む 万13-3282  

この歌の「来まさずは」は否定の仮定条件と解釈できます。「あなたがお見えにならなかったら」です。また宣長は「ずは」の説明の直前に「ねば」の説明を行なっていますが、そこにある「ねば」の用例はすべて通常の「ないので」でなく「ないのに」と解釈されるものです。したがって、宣長は「ずは」の中に否定の仮定条件文として解釈できないものがあるとして、特殊な「ずは」の一覧を24首として示したと考えられています。 

これに対して橋本進吉(1951)は新たな仮説を提出しました。次の歌は宣長説の「ずは」を「んよりは」で読み替えても解釈できないとし、「ずして」と読み替えることを提案しました。  

1-3 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ 万20-4441  

「あなたの姿を忘れないならば」では歌意が通らないので「あなたの姿を忘れないで」と解釈すべきとしました。しかし宣長の24首の中にこの歌はありません。書き忘れでないならば宣長はこの歌を特殊な「ずは」と看做さなかったことになります。  

今日の万葉集の解説書は宣長説か橋本説のいずれかです。 新編全集が宣長説であことは既に述べました。岩波の大系は橋本説です。大意に「こんなにも恋い慕っていないで、高い山の岩を枕にして死んでしまったらよかったものを」とあります。

一方新体系は橋本説を支持しながら、現代語訳は宣長説を採用して「これほどまでに恋しい思いをしているくらいなら、高山の岩を枕にして、死んでしまう方がましです。」です。同書の注釈に「「恋ひつつあらずは」の「ずは」は、打消しの助動調「ず」の連用形に係助詞「は」の加わった形(橋本進吉『上代語の研究』)。文法的意味は「ず」の強意であるが「ましを」などと呼応する場合、文脈的意味としては、「・・・んよりは、むしろ」のような訳語が該当する。」とあります。

読者の中には、文脈的意味とは何か、文法的意味と何故異なるかなどの疑問を感じる人も多いでしょう。  橋本説の「は」強意を示すというのも、そのように仮定すれば橋本説の「ずして」の解釈が成立するというだけです。

宣長説と橋本説が特殊な「ずは」を説明する二大仮説ですが、それ以外の説を発表年の順に幾つか紹介します。  

大岩正伸(1942)は1-1を「恋はあまりに苦しいから、これほど恋に苦しまないですむならば、岩を枕にして死んでしまはう」と解釈しました。いわば「ずは」を「ぬためには」と読み替える提案です。林大(1955)は「仮定条件として解けるならば、それに従つたがよからうと思ふ」と述べた上で、「恋しがってゐないとすれば、(そのためにはいっそ)死んだがよからう」(死ぬより手がないのではあるまいか)」としました。これらは前件目的説と言えます。大岩説を継承するものに小柳智一(2004)があります。「これほど恋い続けていないのなら[ためなら]、(生きていないで)高山の磐根を枕にして死んでしまいたい」と現代語訳しています。  

宣長説の読み替えに理由を与えようとするものに濱田敦(1948)があります。本来は「あらば」と言うべきを「あらずは」と誤用したという仮説です。なぜそのような誤用が行なわれたかの理由を「「こんなにいつまでも徒に恋に悩んでいたくない」という気持が話者に存する為に、それが打消の「ず」となって、現るべからざる「かくばかり恋ひつつあらば」という条件句の中に置かれるに至ったもの」と説明しています。濱田敦(1948)の誤用説を栗田岳(2010)が継承しています。
 
鈴木一彦(1962)は1-1を次のように現代語に訳しています。「(今、私ハ家ニイテアナタヲ待ッテイマスガ)モシコンナ状態デ恋イ慕ッテイナイトスレバ、(私ハ今ニモアナタヲ迎エニ出カケテ行ッテソノ結果行キタオレテ)高山ノ岩根ヲ枕ニシテ死ンデシマウデショウモノヲ(ジットコラエテ私ハアナタヲ恋イ慕ッテイルノデス)」。この解釈は万葉集の注釈書の中では少数派ですが、「ずは」を否定の仮定条件と見る点で注目されます。  

吉田金彦(1973)は「ずは」を一律に否定仮定条件文と見た上で、この「ず」に「可能的意味」があるとし、1-1の現代語訳を「これほどまでに恋いながらえて行きえないのならば、いっそのこと高山の岩根を枕にして死んでしまいたいものだ」としました。 これを不可能説と呼ぶことにしますが、後で示すようにこの説はすべての特殊な「ずは」を一律に扱えない難点があります。

大野晋(1993)は「ずは」の機能はすべての歌に共通であるとした上で、これらの条件文を三つに分けました。つまり、成立した事象に対する反事実条件文、未成立の事象に対する反事実条件文、未知の事象に対する仮定条件文です。第一の条件文に分類される1-1を「作者は恋に苦しんでいる。この事態はどうにもならない。この苦しみから脱却したいと思っても、それは不可能なのである。そこで、高山の岩根を枕にして死んでしまえばよかったと思う。ところがそれもできない。」と説明しました。1-1の現代訳を与えていないが、類歌は「宣長のいうように『A・・・ンヨリハBスレバヨイノニ』と訳しても当たるものである」としています。この歌の解釈に関する限り大野説は前件目的説と言えます。 

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。 

参考文献(刊行順) 
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房) 
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』

田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
大野晋1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

 

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

2016年12月4日日曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その0 仮説と検証

これから数回に渡り「かくばかり恋ひつつあらずは」などの「ずは」の語法について述べます。「「ずは」は、集中最も難解な語法で、永遠に説明不可能であろうといわれる。」は伊藤博(1995)の言葉ですが、「ずは」の難解さを示すためにしばしば引用されます。

一般の「ずは」と特殊な「ずは」の二種類の区別があるのか否か。あるとすれば、また、ないとすれば、「ずは」はどのように解釈されるのか。現時点で答えが出ていません。本稿は「ずは」の構文のすべてが否定の仮定条件文として解釈できることを示します。

現代に上代語の母語話者はいません。したがって上代語の意味を解釈するには万葉集、記紀歌謡、仏足石歌などの韻文や日本食宣命の散文のもとに推定するしかありません。意味の推定の面白い例を示します。

日本から生糸を輸入するため西洋の商人が横浜に住み始めた明治のころ、とある日本語人(日本語の母語話者をそう呼ぶにします)が見ていると、イギリス人だかアメリカ人だかが遊ばせていた犬を呼ぶのに

「かめや」

と言った。その人は次のように理解した。あの犬の名前はカメである。 日本語でも「ポチや」「シロや」と言うではないか。しかし英語人が言ったのは

“Come here.”
  
です。 この話は中学のときの何かの本で読みました。日本語人の推論仮定は以下です。これを仮説検証法と呼ぶことにします。

仮説1 あの犬の名前はカメである。 
仮説2 西洋語の「や」は日本語の「や」と同じ意味である。
仮説の検証 “Come here”を「カメや」と解釈すると発話の意味に矛盾がない。
 

結論 したがって、あの犬の名前はカメであり、日本語と西洋語の「や」は同じ意味である。 

その人がその後、くだんの西洋人が自分の子供や妻を呼ぶにも“Come here”と言うのを聞けば仮説に疑いを持つかもしれません。子供も妻も犬とも同じ名前とは不思議である。ひょっとすると最初の仮説が間違っていたのかもしれない。あるいは次のように考えるかもしれません。あの西洋人は妻を愛するあまり、同じ名前を子供に付け、犬にも付けた。あるいは、西洋ではカメというのはありふれた名前なのだ、と。

上代語に限らず未知の言語でかつ母語話者がいないものの意味の解釈はこのような仮説検証法以外に方法がありません。対訳辞書があれば別ですが、それは既に未知の言語でありません。古語辞典の意味はすべて仮説検証法で決定されたものです。 

仮説という言葉を国語学の分野で用いると反発を感じる向きもあるかもしれません。定説を仮説と呼ぶのは何事か、と。しかし自然科学の分野ではニュートンの法則もマクスウエルの方程式もすべて仮説です。数学のように人間が作った公理から出発する体系であれば、すべての定理が演繹されます。キリスト教などの神学もそうです。神の言葉(あるいは人間が作った公理)を記した書物から演繹した結果が天動説です。自然科学の法則はすべて反証が現われていない仮説なのです。  

では「かめや」の仮説検証法はどこが良くなかったのでしょうか。それは

AならばBである


BならばAである。

を同一視したことです。逆は必ずしも真ならずです。Aという原因を仮定すればBという結果が説明できるとしても、それはBの原因がAであることの証明になりません。 

単純な例を示せば分かりやすいのですが、上代語の意味の特定に「かめや」のようなことが行われていないとは言い切れません。ある単語や語法にある意味を仮定して歌意が通ることはその単語や語法がその意味であることの証明にはならないのです。その点に注意を払いながら、ミ語法、ク語法、ズハの語法などを検証しました。このうちズハの語法をこれから説明して行きます。

前置きが長くなりました。ズハの語法の原稿は2016年9月に完成し、同時に完成した「ミ語法」「ク語法」の原稿とともに雑誌に投稿することを考えていました。「ミ語法」はA誌に、「ク語法」はB誌に投稿しました(雑誌名は原稿の採否が確定してから公表します)。「ズハの語法」を他の雑誌に投稿しようと考えたのですが、横書きで掲載できないと言われました。この原稿は多量の数式を含みます。したがって縦書きの雑誌では読みにくくなります。A誌は横書き可能ですが、できれば様々な雑誌に発表したいと考えていました。  

横書きで受け付ける雑誌もありますが、そのためにはその学会に入会しないといけません。また、雑誌の刊行頻度が低いので、論文がアクセプトされても、掲載までに半年以上を要しそうです。さらに、反論が認められない査読方式では査読者が不慣れな数式意味を誤解しために不掲載という結論もあり得るのではないかと危惧しました。 物理の論文は掲載か不掲載かの理由が付されて回答され、著者がその理由に反論できます。その理由には様々なものがあり、中にはまったくの誤解もありました。そのような場合、反論の中で誤解を解くことが出来ますが、国語学の多くの雑誌では、少なくとも私が問い合わせた限りでは、反論できるシステムでありませんでした。

以上の理由で「ズハの語法」の論文はインターネット公開という方法を取ることにしました。  

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。 

参考文献(刊行順) 
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』

田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

 

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

2016年12月3日土曜日

プライオリティと査読と盗用と

上代語の研究をブログで公開することについて、プライオリティは大丈夫かと心配される方がありました。

企業の研究所にいて他の研究者や大学の先生方とお付き合いしていると、ときどき聞くのが「取った」「取られた」の話題です。私自身も体験しました。そのとき上司からこんな話を聞きました。

二人の人間が話をすると、相手が言ったことか自分が言ったことかの区別が付かなくなることがある。悪意の有り無しにかかわらず、結果として盗用されることがある。その被害を防ぐには文書化が大切である。社内であれば報告書を書くこと。社外であれば論文誌へ投稿すること。

ある学会に出席したとき、宿泊先の近くの居酒屋へ一人で出掛けるとカウンターにいたおじさんが話し掛けてきました。最初は地元の人かと思いましたが、某大学の教授でした。学会の講演会は話すところでなくて、研究の種を仕入れるところである。話すよりPRLへ投稿すること。べらべらしゃべっても何の得にもならない。二十年以上前のことですから記憶が不確かですが、そのようなお話でした。

他の大学の人からは酒の席でもっと生々しい体験も聞きましたが、 とてもお話できません。歴史に残る有名な研究者でも、アインシュタインはポアンカレのアイデアを、ニュートンはフックの、などという話を聞きますが、真偽のほどは私には分かりません。日々のニュースにも某大学の教授の論文盗用が発覚したなどということがしばしば伝えられます。

物を盗んだ場合は、その物が元の場所から盗んだ人の手元に移動します。 盗まれても気付きます。物の存在が盗んだことを証明します。しかし情報という形がない物の場合は、元の場所にそのまま存在します。紙幣であれば番号がありますが、情報には印が付いていません。さらにまた、一度知られた情報は元に戻すことが出来ません。

発明や発見には特許制度がありますが、無断で特許を利用されてもその証拠を確保することは簡単ではありません。同業他社へアイデアが漏れることを防ぐために、特許を取得せずノウハウに留めることがあります。しかしその情報が漏れて他社に先に特許権を取得されては本末転倒です。昔のように定年まで同じ会社にずっと勤めることが普通ではなくなりました。試作品や製造装置を外注した先の業者が同業他社に営業のために訪れて、あそこの会社から最近こういう装置の注文を貰いましたなどと話すこともあります。業界首位の企業の動向は二位以下の企業の技術者の関心の的です。

そうなっては困りますから、各企業とも先使用権の確保に懸命です。アイデアのような形のないものでも、いつ社内の誰が思い付いたかを記録し、社内や社外の認証を得る様々な工夫を行なっています。人間が皆正直であればこんな無駄な仕事をしなくて済むのになどと当時は思ったものです。

「はじめに」に書きましたが、研究の一端をいくつかの雑誌に投稿しました。その時に驚いたことがあります。驚いたというのは理系の学会では常識だと思っていたことが、国語学関係の学会では常識でなかったからです。どちらの常識が正しいかという話ではありません。それは相対的なことです。それぞれの常識が正しいのです。

理系の学会では、少なくとも私が投稿した雑誌では、投稿された論文の審査は次のような手順を経ます。

①雑誌の編集者(editor)に原稿とそのコピーを送る。
②編集者は受領の日付(date of receipt)が入った穿孔印を原稿のコピーに押して投稿者に返送する。
 ※ 受領の日付は掲載が決定した日付(date of acceptance)とともに雑誌に記載されます。滅多にないとは思いますが、査読者による盗用を防いでくれもします。穿孔印ですから全ページに押されます。
③編集者は原稿を査読者に送り査読を依頼する。
④査読者は掲載の可否と理由を編集者に通知する。
⑤不掲載の判断の場合、編集者はその理由を投稿者に送り反論を求める。
⑥場合によっては④から⑤が繰り返される。
⑦編集者は両者の意見を吟味した上で掲載の可否を決定する。

国語学の学会の多くは、少なくとも私が問い合わせたところはすべて、②と⑤がありませんでした。

②がないと、どんな内容の原稿を送り、それがいつ受領されたかの証拠が残りません。理系の学会は世界的な組織ですから、研究者ごとに所属する文化や道徳の基準が異なります。また、多数の研究者が関わるので研究の進捗速度も速く、文字通り一刻を争います。「取った」「取られた」の争いを防ぐためには原稿の全文に渡る受領の証明が必要なのだと考えます。

大人が大人の意見を判断するのですから、⑤がないのも不思議でした。投稿者が個人的に嫌いだからとか、投稿者の所属する大学に手柄を渡したくないとか、そういう悪意ある人物はいないという理想主義的な考えだとは思いますが、一方で、国語系の学会の中には論文の原稿に投稿者の名前がわかるようなことを書いてはいけないと投稿規定に書いているところもあります。それが現実なのでしょうか。それも重要でしょうが、投稿者に反論を認めるようなシステムであったらと思います。私が所属してきた世界では個人的な感情ややライバルの手柄を云々は聞きませんが、自分の理論と違うから間違いであるという結論を出す人はいました。それが分かったのも⑤があったからです。論文の内容を理解できないために、あるいは誤解したために、棄却される可能性がないとは言えません。

国語系の学会の査読者を疑う気持ちはありませんが、この②と⑤がないというのは理系の学会で活動して来た者には大いに不安を感じさせます。念の為、投稿の前に原稿のコピーを友人たちに送り受領の日付と署名をお願いしました。また、企業の研究所で学んだいくつかの対策も施しました。別件で弁護士に会う機会があったので、そこでも対策を相談しました。意外なことが裁判で証拠として通用すると教えて貰いました。

友人は全員理系なので、大学の国文科を出て高校で古文を教えていた知人にも原稿を見てもらいました。良い評価を得られたので安心しました。もちろん、本人は掲載されて当然の水準にあると信じてはいましたが、それは身贔屓の可能性があります。客観的な意見が聞けて良かったと思います。

これからブログで発表して行く内容は、投稿して落選したものが中心になるでしょう。重要な発見については国際的な言語学の論文誌への投稿を予定しています。しかし、これから述べるかもしれないミ語法、ク語法、その他もけしてつまらない内容ではなく、今までにない新しい知見を提供できると信じています。個人的には今まで半導体の物理でしてきた仕事以上のものであると思います。ご期待ください。けして素人のトンデモ系の論説ではありません。

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

2016年12月1日木曜日

はじめに

表題は三上章氏の「現代語法序説」に倣いました。

中学校の国語の授業で動詞の活用を学びました。その規則性がとても不思議でした。動詞の活用は何故できたのだろう。不思議に思い、やがて忘れていました。

高校に入り岩波新書の金田一春彦著「日本語」、泉井久之助著「ヨーロッパの言語」などを読み、将来は大学で言語学を学びたいものだと考えていました。

高校三年のとき旺文社の受験雑誌の記事を読み考えが変わりました。文系の学問は個人でも学べるが理系の学問は大学でないと学べない。そのような内容だったと思います。国語と物理が得意でした。文系進学のクラスにいたにもかかわらず夏休み明けに志望を理系に変更しました。

運良く大学に現役で合格できましたが、数学の微積分を殆ど学んでいない身ですから、ε-δ論法など煙に巻かれた感じでした。数学の単位を落として留年。理学部物理は夢のまた夢。工学部某学科になんとか進級できました。そこでも数学が必要になります。高木貞治著「解析概論」や佐竹一郎著「線形代数学」などを読み直しました。他人の何倍も時間を掛けて読めば自分にも理解できることに気付きました。

半導体の会社に就職し研究所に配属されました。進学できなかった物理出身の同僚に負けたくない一心でバークレーやランダウのシリーズを毎晩読んでいました。半導体の工場は良く言えば風光明媚な場所にあります。他にすることがなかったのです。その頃には数学が得意であると言えるようになってもいました。

それから二十年以上経ち、あるとき大野晋氏の動詞活用の起源の説を知りました。それをきっかけに大野晋氏、橋本進吉氏、山田孝雄氏らの著書や論文を読み始めました。最初は感心するばかりでしたが、やがて疑問も生じてきました。しかし、考える材料がありません。幸い英語が多少読め、数学も何とか人並になっていたので、欧米の言語学の著書や論文を読むことにしました。現代の言語学は応用数学と言っても良いものになっています。著者の経歴を見ても数学の出身者が多数いました。

アメリカやオーストラリアには多数の先住民の言語があります。旧ソ連邦内にも多数の少数言語があります。それらの言語と比べると日本語と英語の違いなどは無いようなものと感じました。指示代名詞の形が時制で変化するものもあります。多彩な言語の論理構造の理解に、若い頃に必死で学んだ数学や物理の抽象的な思考の経験が役立ちました。

言語類型学や数理論理学の知識を得てから万葉集等を読むと従来の国語学で顧みられなかった現代日本語とは違う上代語の論理構造がおぼろげながら見えてきました。動詞の活用の起源についても、大野氏の説を越えるものは無理だと思っていましたが、その糸口が見付かりました。そのような小さな発見を繋いで行くと、突然に上代語の秘められた論理構造の一端が出現することがあります。その発見を繋ぐと、さらに大きな発見に導かれます。

助動詞や助詞の意味が少しずつわかってきました。ミ語法やク語法、伊藤博氏が「「ずは」は、集中最も難解な語法で、永遠に説明不可能であろうといわれる。」と記した次の例のような特殊とされる「ずは」の語法の意味も、意外と単純な論理構造から出来ていることがわかりました。

1-1 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを 03-0086

特殊とされる「ずは」の解釈には「ずは」を「ん(む)よりは」と読み替える本居宣長説と「ずして」と読み替える橋本進吉説があります。他にも大岩正伸氏の説や鈴木一彦氏の説がありますが、詳細は後日述べます。宣長説なら「これほど恋しているぐらいならいっそのこと死んだ方がましだ」、橋本説なら「これほど恋していないで死んでしまいたい」となります。今日の万葉集の解説書はそのいずれかです。

しかし、ここで疑問が生じます。ひとつは「とらずはやまじ」のような否定の仮定条件文に解釈される特殊でない「ずは」とそれと違う解釈がなされる特殊な「ずは」がそもそもあるのだろうか。どちらも同じ解釈は出来ないだろうかというものです。もう一つは宣長説にせよ橋本説にせよ、万葉集の巻二の巻頭を飾るには単純すぎる内容ではないかというものです。「かくばかり恋つつあらずは」で始まる類歌がいくつかあるのは、それだけ文学的に優れていたからではないだろうか。そのような疑問も生じます。

ミ語法は「山を高み」というような助詞の「を」と形容詞語幹と不明な語尾「み」からなる語法で、「山が高いので」と因果関係を表わすとされています。しかし、では何故そこに対格を示す「を」があるのかという疑問が生じます。これについては某雑誌に2016年9月に投稿しました。掲載が決定した時点でこのブログで取り上げます。もしも不幸にして不掲載となった場合は全文をこのブログに掲載します。

ク語法は「恋ふらく」「悲しけく」などの語法で動詞や形容詞を名詞化するとされています。 しかし、ここにも幾つか疑問があります。例えば次のような「なくに」の形のク語法の歌が万葉集に約150種あるのに対して、「ぬに」の形の、つまりク語法でない歌が非常に少ない。

1-2 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思はなくに  03-0244

そのため「思はぬに」に対して「思はなくに」は詠嘆を表わすと言われてきました。上代語の文法には詠嘆や強意の語が数多く使われます。しかしその詠嘆は語法の中にあるのか、意味の中にあるのかはっきりしません。和歌が何らかの感情を表わすならば、詠嘆は意味から生じるのではないだろうか。結論を書くとク語法は名詞化でも詠嘆でもないことが分かりました。これも同じく2016年9月に別な雑誌に投稿しました。掲載または不掲載が決定した時点でこのブログで紹介します。

この他に「き」と「けり」、「つ」と「ぬ」、「む」と「まし」、「らむ」と「らし」などの助動詞の本質的な意味、「は」と「も」、「ぞ」と「なむ」などの助詞の意味、動詞や形容詞の活用の起源、各活用形の意味についてもこのブログで述べる予定です。

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)