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2020年3月27日金曜日

JBJ-16 「令和」から浮かび上がらない大伴旅人のメッセージ The Tabito Code 上代文学会事件

以前書いたように、研究者と有名人は敬称を省略する。研究者は論文の著者、有名人は名前がWikipediaの項目にある人物とする。

品田悦一が雑誌『短歌研究』201905月号に寄稿した「「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(新元号の深意)」が公開されている。

品田の説を一言で言えば、大伴旅人が万葉集の梅花歌二十三首の序文の中に「権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない」という暗号を仕組んだというものである。これは品田の仮説であって事実から演繹も帰納もされないことは言うまでもない。しかしネットを検索すると品田の仮説はあたかも「間テキスト性」という魔法の杖で帰結された事実かのように受け取られている。

本稿以外の反論は次の二つしか見つからなかった。一つは以前紹介した葦の葉ブログさんの記事。もう一つはmixiユーザーさんのものである。

前回の「品田悦一の言う「間テキスト性」と前々回の「品田悦一の言う「テキスト」とロラン・バルトの言う「作者の死」」とで品田の言う「間テキスト性」と「テキスト」がジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)やロラン・バルト(Roland Barthes)が本来述べたものと意味が異なること、正しく用いたとしても品田が導いたような結論を導けるものではないことを明らかにした。以下、書き残した部分を補う。

品田は言う。「旅人も老荘の脱俗思想を受容していました。有名な「酒を讃むる歌十三首」(巻三・三三八~三五〇)を読めば、はっきり分かります」。

しかし世界を見渡せば世俗から逃避する詩や酒を讃えた詩は多数見出される。アラビアのアブル=アターヒーヤやペルシャのウマル・ハイヤームは老荘思想の影響を受けていたのだろうか。またもしも大伴旅人が荘子の思想を受容していたというのなら、あのような亡妻の挽歌をなぜ作ったのか。鼓盆而歌の故事を国語学者たちは知らないのだろうか。

確かに万葉集の一般向けの解説書には讃酒歌十三首に老荘思想の影響があるという記述がある。その根拠は何だろう。「皆が言うから正しい」や「偉い先生が言うから正しい」という非論理的な理由ではないだろうか。

人間は概ね論理的であるが、しばしば非論理的な行動をする。人間が生れ付き有する論理の錯覚が原因である。様々な心理学や社会心理学の実験が人間の心に内在する論理の錯覚を明らかにしてきた。その一つに同調行動がある。アッシュの三本の棒の長さを答えさせる実験は、一人でやれば間違いようがないような問題を被験者が周りの意見に同調して間違える傾向を見事に捉えた。その他幾つもの実験が示すように、人間は周りが白だと言えば黒いものも白く見えてしまうのである。

「皆が言うから正しい」という判断はこの論理の錯覚が原因である。シマウマの群れにライオンが近付いたとき注意力が敏感なシマウマから気付いて走り出す。群れの一定の割合の頭数が走り出すと他のシマウマはライオンに気付かなくても走り出す。この現象も心理学の研究対象である。

周りに合わせるという判断は人間でもシマウマでも生き残る確率が高い。しかし研究者の判断を妨害して正しい結論を得られなくする。理系の学生たちは日々の演習や実験でそのような論理の錯覚を指摘され矯正されて一人前の研究者になる。

文学部ではそのような教育が行われず師の言葉を疑うことを禁じているのではないだろうか。上代文学会事件の裁判記録を読むと、そう思わざるを得ない発言に出会う。「原告には、専門家としての上代文学研究者に対する敬意が欠けている」(2019610日付被告準備書面)。「原告は、「村社会」云々と称して、文学研究の専門家に対する敬意を持たないために、他者の指導や批評を受けることがなく、独善に陥っている者である」(同)。

上代文学会の言う「敬意」はrespectでなくdeferenceである。つまり問答無用に従えと言うのである。これが学問本来の方法でないことは今更言うまでもない。

品田は言う。「王羲之を古人として慕った大伴旅人も、文芸が人間どうしの共感を繋ぐことを信じていたはずです。中国と日本ですから、時代だけでなく、国境をも越えた共感――時空を超えた共感です。これを支えるのは、「国書」というような内向きの発想ではありません。旅人の息子で『万葉集』を完成させたと見られる大伴家持も、『万葉集』を国書だなどとはゆめゆめ思わなかった」。

大伴旅人が王羲之を慕ったというのは品田の個人的意見である。「間テクスト性」の概念からはそのような結論が得られないことを前々回に述べた。外国語で文章を書こうとするものは皆母語話者の用例を参考にする。相手を尊敬しようが軽蔑しようが無関係である。

これは日本語の文章を書くときも同じである。芥川龍之介が『侏儒の言葉』に「作家所生の言葉」と題して次のように書いている。

「振っている」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文壇に行われるようになったのは夏目先生から始まっている。こう言う作家所生の言葉は夏目先生以後にもない訣ではない。久米正雄君所生の「微苦笑」「強気弱気」などはその最たるものであろう。なお又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のものである。我我は常に意識して帽子を脱いでいるものではない。のみならず時には意識的には敵とし、怪物とし、犬となすものにもいつか帽子を脱いでいるものである。或作家を罵る文章の中にもその作家の作った言葉の出るのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

また「共感を繋ぐこと」を信じていたかどうかも分からない。品田の個人的意見である。「国書」云々も個人的意見である。なお当時「国書」というシニフィアンはなかったがそのシニフィエに相当する概念がなかったとは言い切れない。個人的意見を事実のように書くのは一般の読者を迷わす。理系の研究者は他人の論文を読むとき何が事実かを確認する訓練を受けている。だから必ず見抜く。しかし人文系の研究者はそのような訓練を経ていないのかもしれない。

大伴旅人の次の二首について
・我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも 05-0847
・雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賤しき我が身またをちぬべし 05-0848
品田は言う。「帰京しても若返るはずなどないことは分かりきっていますから、「都見ば……またをちぬべし」は明らかに逆説です。「都見ば」という仮定自体がアイロニーなのであり、都など見たくないという底意を読み取るよう読者に求めているのです。」

逆説paradoxの意味であれば、妥当な推論から受け入れ難い結論が導かれることである。あるいは「逆説」を単なる「誤り」の意味で誤用しているのかもしれない。しかし受け入れがたい結論でも誤りでもない。旅人は「薬を飲む」と「都を見る」を比較し「若返る」可能性は後者が高いと言ったのである。

旅人の真意が「薬を飲んでも若返らない。それと比べれば都を見て若返る可能性が高い」なのか「都を見て若返るとは思わないが、薬で若返る可能性はさらに低い」なのかはわからない。

人間の感情は首尾一貫するものではない。ある時は嫌いだと言い別の時には好きだと言う。そのような描写は文学作品に幾らでも出てくる。実際当人にも自分の感情が分らないのかもしれない。人間の感情とはそういうものである。上の歌を詠んだとき「都に帰りたい」と思い、実際に帰るとなったときに「帰りたくない」と思う。これは大伴旅人が人間である限り不思議ではない。妻と死別した。昼間は仕事に追われて寂しさを忘れている。しかし夜一人になると都の古い友人たちに会いたいと思うかもしれない。そこで「都見ば」と詠んだ。帰京が近付くと妻と過ごした家が思い出されてきた。そこで「都なる荒れたる家に」と詠んだ。そういう心境の変化は何ら不自然でない。

文学は人生を体験しないと十分に理解できない。恋を知らぬものが恋愛小説を理解できないように、外国語で文章を書く経験がないものは漢詩文を作る苦労を理解できない。和漢辞典もインターネットもない奈良時代に、いや現代でも、母語話者の心を揺るがすような詩文を書こうと思えば、それまでに読んだ漢詩文のテクストから相応しい表現を借用する以外にない。同様のことを他の漢詩文の作者も行なってきた。現代でも「詩語集」や「詩語辞典」が漢詩作者のために存在する。

*** 

科学技術の研究は研究者同士の自由な相互批判が発展させてきた。研究者が論文を書くのはスポーツの選手が試合の場に立つのと同じである。そこには日常の場とは違うルールがある。全力を尽くして戦っても試合が終われば遺恨はない。しかし文学部の研究者の中には自説を批判されただけで怒る人たちがいると聞く。もしもそうならその人は研究者とは言えない。批判されるのを好まないなら研究をやめるしかない。私は品田悦一の論文を批判したが、論文を書いた品田個人に対して特別な感情があるのではない。研究の場と日常の場は別である。

理系の研究者同士なら言わなくも良いことを書いた。品田悦一がそういう人物だなどとは思わないが、文学部の研究者の中にはそうでない人もあるかもしれない。このような蛇足を書かなくても良くなったとき日本の人文科学の研究は欧米と対等になるだろうし、そうなることを願っている。

参考文献
Roland Barthes (1968) The Death of the Author, translated by Stephen Heath.
ジュリア・クリステヴァ(1970)『テクストとしての小説』(国文社 1985)谷口勇訳
Roland Barthes (1971) From Work to Text, translated by Stephen Heath.
Roland Barthes (1977) Image Music Text, Fontana Press (London). Essays selected and translated by Stephen Heath.
品田悦一(2019 「「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(新元号の深意)」 雑誌『短歌研究』201905月号



2020年3月26日木曜日

JBJ-15 品田悦一の言う「テキスト」とロラン・バルトの言う「作者の死」 The Tabito Code 上代文学会事件

以前書いたように、研究者と有名人は敬称を省略する。研究者は論文の著者、有名人は名前がWikipediaの項目にある人物とする。 

以下は文芸評論とは無縁の私がバルトの二つの論文を英訳で読んだ理解に基づく。なぜ英訳か。フランス語が読めない。人文科学や社会科学の和訳は誤訳で何度か痛い目を見てきた。フランス語は日本語よりも英語に統語法や単語の対応が近い。それが理由である。実際「エクリチュール」では分からないが、英訳のwritingだと分かる。 

品田悦一が雑誌『短歌研究』201905月号に寄稿した「「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(新元号の深意)」がネットに公開されている。

そこに「テキスト」の語が13回登場する。うち3回は「間テキスト性」(intertextuality)である。後者に関しては前回述べた。品田の用法はこの語を作ったジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)のものと異なっていた。テクストはどうだろう。文芸、映画、音楽の評論でテクストを流行らせたのはロラン・バルト(Roland Barthes)の二つの論文「作者の死」(The Death of the Author)と「作品からテクストへ」(From Work to Text)である。

従来の評論は作者に重きを置いていた。作者の意図はかくかくである。だからこの作品はしかじかと理解すべきである。これにバルトは異を唱えた。読者が読むのは作品でなくテクストである。そこに作者の意図はない。テクストを読む読者は共著者となる。作者が行なったエクリチュール(writing)を読者が引き継ぐ。英語やフランス語は「こと」と「もの」を日本語ほど厳密に区別しない。エクリチュールは書くことでもあり書かれたものでもあることに注意されたい。

平安時代の物語は写本として残されている。多くは途中で書き換えや編集や追加が為される。作者が書いたテクストを読む読者がエクリチュールを行なった。これが写本である。作者のエクリチュールは書いた時点で終わるのではなく読者が続ける。作者の手を離れたテクストが独り歩きを始める。これをバルトは著者の死と呼んだ。読者がエクリチュールを続けることを読者の誕生と名付けた。

グレン・グールド(Glenn Gould)がモーツァルトのソナタ全集を録音している。あれを聴き続けられる人を尊敬する。余程体力と精神力に余裕がないと私には無理である。モーツァルトが書いた譜面は作品でなくテクストである。それをグールドが彼の流儀で解釈しエクリチュールを続けた。内田光子も他のピアニストもそれぞれの解釈でエクリチュールを行なった。

作者の死の別な例は記紀歌謡を話の流れから独立して解釈することである。それぞれの歌がテクストとして抜き出され作者が登場人物に与えた意図とは独立に解釈される。記紀の作者は民謡などのテクストを自身のテクストに持ち込んだ。元のテクストは作者の文脈にはない。ならばそのテクストを抜き出して解釈しようという考えと思う。

上代文学会事件の被告の上代文学会(代表品田悦一)の書面に「最後に、一般人として、法律家たる被告にいう。」(被告2019年7月26日付準備書面)という文言がある。原告の「最後に、原告は法律家として、被告にいう。」(原告2019年7月26日付準備書面)というテクストを参照して初めて原告の真意を理解できる。句読点の打ち方まで真似ている。揶揄を目的としてものと思えるが、これも間テクスト性の例である。

バルトの考え方は評論界で一時期流行したようである。評論を書く新しい枠組みを与えた。しかしそう考えるべき根拠を、少なくとも二つの論文を読んだ印象としては、与えていないように見える。バルトの考え方が絶対に正しいとは言えないことに注意されたい。

品田は言う。「およそテキストというものは、全体の理解と部分の理解とが相互に依存しあう性質を持ちます。一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。この場合のテキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。」

これはバルトやクリステヴァの考えと違う。テクストは部分だけが抜き出されることもある。品田はまた「旅人自身は歌群の読者が先行テキストの内容をも想起するよう期待していたはずです。」と言う。

バルトやクリステヴァの言うテクストの概念からは「はずです」と言えない。たとえば盗用も間テクスト性の一つであるが、その場合の作者はむしろ想起されないように期待する。

「巻六では膳王の歌の直後から旅人ら大宰府関係者の歌ばかりが続きますから、テキストとしての『万葉集』は、旅人が長屋王事件のとき遠い大宰府にいたことをも読者に印象づけようとしていることになります。」

バルトの考えに従うならば、ここに「テクストとしての」は不要である。むしろ作者の意図とは無関係に読まれてしまうのがテクストである。

テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵愾心が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体が付いて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好です。」

全体が付いて回らないのがテクストである。

テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。」

これだけはバルトの考えと同じである。しかし他の用法は異なっていた。以前の「向井克年の言う「可能世界」」にも書いたが、国語学や国文学の論文を読みにくくしているのは他分野の専門用語に本来の意味や一般の理解とは異なるシニフィエを指示させて用いることである。しかしそのような誤解も間テクスト性の一つではある。

品田が「「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」で用いた「テキスト」と「間テキスト性」の用法を用いるならば、次のような「論証」も可能になる。

品田悦一の「鬼酣房先生かく語りき」の書名はニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」が出典である。ニーチェが自身をツァラトゥストラに擬えたように品田も自身を鬼酣房先生に擬えた。ちなみに「吾輩は鬼酣房である」では野良猫をシニフィエとする間テキスト性から読者の尊敬を得られない。

ツァラトゥストラは愚昧な一般人と対比される超人(Übermensch)である。これはヒトラーの思想に合致するものであった。ナチスはニーチェを大いに利用した。彼らはアーリア人を超人と考えユダヤ人などの他民族を劣人(Untermensch)と見做した。品田は「旅人が大宰府の役人たちの教養の程度に配慮して」と言う。これは自身と旅人を超人の側に太宰府の役人たちを劣人の側に置いた観点からの記述である。

品田は「鬼酣房先生かく語りき」で「あなたはそれでも帝都大学の教授なんですか」と一般人に語らせている。大学教授を優越視していることが明白である。「帝都大学」は東京大学であり帝都は大日本帝国の首都を意味する。品田悦一の「鬼酣房先生かく語りき」を精読すると「劣人の民主主義の横暴を許せないし、ナチスドイツと大日本帝国の栄光を忘れることもできない」という、おそらく一般読者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてくるのである。

以上の赤字の部分は「緊急寄稿」の論法を用いるならばこんなことが言えてしまうという例えである。そのように私が考えているのではない。ただし上代文学会の以下の文言は被告が一般会員である原告を劣人と見做しているように思えてならない。論文の内容でなく著者の属性で採否が決まるならば、アーリア科学を唱えてユダヤ人科学者を追放したナチスと変わらない。

「ただし上代文学に対する説得力のある新説は、それに関わる知識や研究方法を学んでいなければ提出できない専門教育無しにまともな発表ができるほど、上代文学研究は底の浅いものではない。」(被告2019年4月22日付準備書面) 
「しかし今回の原告の発表要旨には、基本的な語法に関する 誤りが見られることが暴露しているように、上代文学研究に関する知識も方法も学んだ形跡が無いそのために不採用になったのであ(る)」(被告2019年4月22日付準備書面

なお私はグールドのファンである。バッハの録音はどれも好んで聴いている。モーツァルトだけがダメなのである。さらに付け加えるならば私は品田悦一個人に対して何ら特別な感情を持っていない。本稿は品田の「大伴旅人の暗号」という論説に用いられた用語の語法と論理的な妥当性に異議を唱えただけである。また上代文学会の理事たち個々人に対しても同様である。一般会員に対するエリート意識に基づき著者の属性で論文の審査を行なうことに反対しているだけである。

参考文献
Roland Barthes (1968) The Death of the Author, translated by Stephen Heath.
ジュリア・クリステヴァ(1970)『テクストとしての小説』(国文社 1985)谷口勇訳
Roland Barthes (1971) From Work to Text, translated by Stephen Heath.
Roland Barthes (1977) Image Music Text, Fontana Press (London). Essays selected and translated by Stephen Heath.
品田悦一(2019) 「「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(新元号の深意)」 雑誌『短歌研究』201905月号