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2018年1月6日土曜日

TSONTS-12 萬葉学会の審査の妥当性の検討(2) Q氏の不掲載理由(上)

本ブログを通じて、ク語法の論文の投稿に付き、萬葉学会の担当者の編集委員をP氏、査読者をQ氏と呼んでいる。以下、萬葉学会の審査の妥当性を検討するため、Q氏の示した不掲載の理由を詳細に見ていく。


本論はク語法の語構成を「活用語連体形+あく」と捉え、「あく」は四段活用動詞であって、「ものごとの存在が五感を通じてはっきりと知覚される」「その存在がはっきりと知覚される」意味があるとする。


Q氏の理解は少し違う。念の為論文の仮定を引用する。


仮定1 ク語法は従来考えられていた活用語を名詞化するものでなく、活用語の連体形にアクという四段動詞が下接したものである。

仮定2 アクの根源的意味は、モノ(人や事物)やコト(状態や行為、伝達される内容)が視覚、聴覚、嗅覚、触覚、温度感覚などを通じて「その存在がはっきりと知覚される」ことである。

仮定3 アクは金田一春彦1950の継続動詞に相当し、瞬間動詞に相当しない。




そして、ク語法による名詞句を「~することは明確であるのに/明らかである」として情態副詞「明らかだ」節のように解釈している。


私はク語法を名詞句だとは書いていない。また「あるのに」と訳したのは助詞の「に」が「あく」に後接された場合だけである。Q氏の査読は斜め読みなのだろうか。最初から掲載する他の論文が決まっていたのだろうか。

本稿の新規性の一つは、従来詠嘆とされる「思はなくに」などの「なくに」が多用される理由を合理的に説明し、その意味が「思っていないことが明らかなのに」という新知見を示したことにある。Q氏はここを全く理解していない。


仮説としてアク接尾がもと四段動詞だと考え、その仮設された語義・語性からク語法の用例群を検証するという方法は誤りではない。


「もと」とは書いていない。名詞句だと誤解したところと合わせてQ氏は論文を正しく読んでいない。何度も書いたように、経験科学である言語学は「仮説と検証」以外に方法がない。高山善行(2005)を読み、高山氏は少なくとも当該の論文の執筆の時点で、純粋に演繹的な方法で研究が行なえると考えていたことを知った。Q氏も高山氏と同じ考えのようである。


さらに、ク語法に対して明確な知覚の表明という、モーダルな意味があると捉える点は興味深い。


これには驚いた。本稿はモダリティについて論じてはいない。Q氏はモダリティをどう定義しているかをP氏に問い合わせたが、回答を得ていない。P氏は陳述と同じだとか、仁田義雄氏や益岡隆志氏のモダリティと同じだと言うが、彼らは「はっきりと知覚される」「明らかである」 という意味をモダリティと扱うのだろうか。

萬葉学会の審査の妥当性の検討(1)に 「この時点でP氏は反論に納得し、Q氏を説得できると考えているように思えた。」と書いたが、P氏は一転して、新しい拒絶理由を持ち出してきた。勤務先の法学の研修で習った「一事不再理」という言葉を思い出した。査読者が言わなかった新たな理由を追加して何が何でも不掲載ということにしたいのかと思った。P氏の追加した新たな理由については後述する。

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