Google Analytics

2017年6月26日月曜日

萬葉学者であるとはどのようなことか? その1 What is it like to be a scholar of the Man'yōshū?

藤本弘(1978)に次のような哲学的な問いがある。


犬が二匹いる。
一匹は飼い犬。かわいがられてエサもキチンともらえるが、つながれている。
もう一匹は野良犬、自由だが、いつも腹をすかしている。
どっちが幸せだと思う?


藤本弘(藤子・F・不二雄)氏は、働くことを勧められた路上生活者にこの質問をさせている。後者が幸せであるから自分は自由な生き方を選んだ、と人間を犬に例えて語っているようにも聞こえる。しかし、地下道おじさん(実は金持ちの会社社長)は続ける。


正解はね、「犬に聞かなきゃわからない」


人間の意識を持ったまま当該の犬の状態にあると仮定しても正しい答は得られない。犬の目で見、犬の耳で聞き、犬の舌で味わい、犬の心で考えてはじめて犬の立場が理解できる。

残念ながらこの問いは我らが藤子不二雄が世界初ではない。アメリカの哲学者のThomas Nagelは"What is it like to be a bat?"という論文で同様の議論を展開している。ただし、Nagel (1974)の主張は、コウモリにならなければコウモリの感じていることが分からないというよりも、人間やコウモリの意識が脳内の化学的、電気的作用に還元できないことに重点を置いている。Nagel (1974)は「コウモリであるとはどのようなことか?」のタイトルで邦訳され、同名の論文集に収められている。

その立場にならなければ、その気持ちが分からないというのは、何も犬やコウモリに限らない。同じことは人間同士でも起こる。Griffin (1961)は白人が黒人として、Wallraff (1985)はドイツ人がトルコ人として生活することで、初めて見えてきたものを記している。アメリカ社会の黒人やドイツ社会のトルコ人は多数派である白人やドイツ人と脳や感覚器官が異なるわけではない。社会的立場のために彼らに接する側の態度が異なるのである。多数派の一員であった彼らが少数派の立場に身を置くことで、束の間(人生の年月に比べれば)ではあるが、少数派の成員であるという理由だけで、多数派から少数派へ向けられる視線、言葉、時には暴力を体験する。それは生まれながらの少数派の体験に比べれば取るに足らないことかもしれないが、多数派から少数派への立場の転換による急激な変化という点で、敏感に感じ取れたかもしれない。

上代語の研究の投稿を始めるまで私が属していたのは理系の技術者や研究者のコミュニティである。論文を四本書き、うち二つをA雑誌とB雑誌へ投稿した。幸いA雑誌にはアクセプトされたが、B雑誌の萬葉学会からは掲載を拒否された。編集者のP氏から査読者のQ氏の不採用の理由を送ってもらったが、今までの理系の論文の審査とは全く異質のやり方であった。まず、査読者へ反論が出来ない。P氏は投稿した論文の価値を認めると言いながら、査読者の判断に従うと言う。編集者は両方の意見を聞き、少なくとも名目上は公平な立場で採否を決めるのが通常の学術論文の審査である。しかるに、萬葉学会はそのようば手続きを踏まず、査読者の判断が絶対と言う。

その後P氏とやり取りをすることになった。そこで受けた印象は、世の中にはこのような考え方をする人がいるのかというものだった。高校入学以来の同級生や先輩後輩、各教科の担任、大学の教員、就職してからノ同僚や先輩後輩、上司、部下、仕事で付き合う他社の技術者や大学などの研究者にそのような考え方をする人がいなかった。P氏だけではない。万葉集から現代語までの研究論文を読んでも、他分野であれば通用しない非論理的な推論が堂々と書かれていることも驚きだった。

どうすれば萬葉学者たちを私が理解することが出来、萬葉学者たちに私を理解してもらえるのか。なぜ彼らは理系の技術者や研究者と異質の考え方をするのか。沢山の「なぜ」に圧倒されそうであるが、その一つ一つについて考えて行きたい。

参考文献。
Clore, Gerald L.; Jeffery, Katharine M. (1972) Emotional role playing, attitude change, and attraction toward a disabled person., Journal of Personality and Social Psychology, Vol 23(1), Jul 1972, 105-111.
Griffin, John Howard (1961) Black Like Me. (Houghton Mifflin, Boston) 『私のように黒い夜』(至誠堂、1974)
Halsell, Grace (1969). Soul Sister: The Journal of a White Woman Who Turned Herself Black and Went to Live and Work in Harlem and Mississippi. (World Publishing Company, New York) 『黒い肌は知った』 (サンケイ新聞社、1970)
Mowat, F. Never Cry Wolf (New York: Dell Publishing Company,1963).
Nagel, Thomas (1974). "What Is It Like to Be a Bat?". The Philosophical Review. 83 (4): 435–450
藤本弘(1978) 「地下道おじさん」 『マンガくん』1978年09号 小学館、『藤子・F・不二雄大全集』5-3(2010 小学館)に収録。
Wallraff, Günter (1985) Ganz unten Beschreibung des Schicksals von illegal eingeschleusten Arbeitern. 『最底辺』 (1987、岩波書店)