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2018年1月31日水曜日

TSONTS-25 高山善行(2005)を何故批判するのか(5) 違いを説明する義務

Q5. 高山善行(2005)に論文としての価値はありますか。
A5. 学術論文が備えるべき要件とされるのは独自性(originality)と新規性(novelty)と重要性(significance)です。他人の真似でないことが独自性です。以前査読者による盗用の話をしましたが、国語学の学会がこの点を全く考慮していないのが不思議です。新規性は今までになかった発見や考え方です。既に誰かが言ったことや書いたことと同じでは新規性の面から価値がありません。他の研究者の研究に役立つかが重要性です。高山善行(2005)の場合、連体用法の「む」は未解決の問題なので重要性は問題ありません。問題になるのは新規性です。似た論文が存在するのに引用していません。気付かなかったでは済まされません。論文の著者は似た論文を調べて探し出し違いを説明する義務があります。山本淳(2002)にあまりに似すぎています。また「む」が非現実を表わすとする説は山田孝雄(1908)が述べたものです。少なくともこの二つの論文と比較し、違いを述べなくてはいけません。理科系の論文の査読者であれば引用させ違いを説明させます。

上記に加え、実験や調査のデータに間違いがないこと、結論を導く推論に誤りがないことが当然求められます。また、論文のテーマや題材が持つ本質的な難しさは別にして、記述の仕方をわかりやすくすることも求められます。もちろん、数式が難しいから数式を使わずに書けなどという要求は認められません。わかりやすくというのは、データの提示などです。高山善行(2005)はAとBという二つの表現の共起関係の比較を行ないますが、AとBの母数が大きく違い、AはBの6倍近くあります。ということは、Aの共起が11例、Bの共起が2例であった場合、Bの共起の確率が大きいということです。高山氏は大きな違いのみ数字を示していますが、母数を示さないとAの共起例が多く受け取られやすくなります。また違いが小さい場合は数字を示していません。Aの共起例を3例示し、Bの例が一つしかなかったと書いている箇所がありますが、それでは母数の差からBが共起しやすいという高山善行(2005)と逆の結論が導かれます。データの提示のわかりにくさは査読で指摘すべきでした。

何度も書きましたが、「演繹的方法を用いた」というのは誤りです。これが訂正されない限り論文を受理できません。というのは、経験科学において演繹的方法で何かが発見されることがないからです。星座の配置から結論した、宇宙人から電話があった、と書くのと変わりません。著者の恥となることですから、査読者は注意すべきでした。事実、高山善行(2005)が用いた推論は、演繹でなく、二段階の遡及推論による仮説の提示です。調べた範囲で共起例がなかったという結果から共起できないという一般法則を仮定し、さらにその理由として、連体「む」が非現実を表わすからであるという理由を仮定しています。

高山氏の名誉のために付け加えれば、このような仮説の提示をあたかも正しい推論から得られた結論の如く扱う国語学者が少なからず存在します。しかしまた、国語学者がそのような間違いを犯すことが問題です。学生や一般人が信じてしまいます。「金谷武洋氏なほもて批判さる、いはんや高山善行(2005)をや」というのはそういう意味なのです。一般人が間違う以上に学生や国語学者の卵が影響を受けるのが問題です。

本稿が参考にしたのは田川拓海氏のこのブログ記事です。

いつものおまじないを書いておきます。こういう常識をわざわざ書かなくていけないのも情けなくはあります。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ。」

藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の「エスパー魔美」からの引用である。「法華狼の日記」さんのサイトに詳細な解説とそれに対する読者の反論と議論がある。セリフに漢字が少ないことから窺えるように、この漫画は小中学生を読者と想定したものである。自分の論文が批判されて怒っていたら理系の研究者はやっていられない。相互批判は学問の共同体の当然の権利であり、それが学問を発展させるのである。この当然すぎる常識を萬葉学者たちが受け入れてくれることを祈る。

※ このブログの記事のことは萬葉学会にメールして以下の伝言を高山善行氏に伝えるようお願いしました。宛先には萬葉学会編集委員長の関西大学の乾善彦氏も入れてあります。ですから必ず伝わっていることと思います。伝言の部分を再掲します。


高山善行殿

高山善行(2005) 「助動詞「む」の連体用法について」 『日本語の研究』  1(4), 1-15, 2005の問題点を次の記事で論じています。

高山善行(2005)の問題点(1) 演繹でない推論
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-2.html

高山善行(2005)の問題点(2) データの整理が不適切である
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-3-20052.html

高山善行(2005)の問題点(1再) 演繹でない推論(つづき)
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-4-20051.html

高山善行(2005)の問題点(3) モダリティの理解不足
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-5-20053.html

高山善行(2005)の問題点(4) 主観と客観の混交
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-6-20054.html

今後も継続する予定です。上記記事並びにその継続記事に対して意見があればコメントまたはメールにて連絡をお願いします。



引用文献
山田孝雄(1908)『日本文法論』(宝文館)
山田孝雄(1936)『日本文法概論』(宝文館)
Reichenbach, Hans (1951) The Rise of Scientific Philosophy.
Popper, Karl (1959) The Logic of Scientific Discovery.
Popper, Karl (1972) Objective Knowledge: An Evolutionary Approach.
野崎昭弘(1980)『逆接の論理学』(中公新書)
北原保雄(1984)『文法的に考える』(大修館書店)
和田明美(1994)『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
Palmer, Frank R. (1979) Modality and the English Modals.  飯島周訳『英語の法助動詞』(桐原書店)
Palmer, Frank R. (1990) Modality and the English Modals. 2nd ed.
村上陽一郎(1994)『科学者とは何か』(新潮社)
Palmer, Frank R. (2001) Mood and Modality, 2nd Edition.
高山善行(2002)『日本語モダリティの史的研究』(ひつじ書房)
安田尚道(2003) 「石塚龍麿と橋本進吉--上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」 『国語学』 54(2), p1-14, 2003-04-01
山本淳(2003)「仮定・婉曲とされる古典語推量辞「む」の連体形」 山形県立米沢女子短期大学紀要 38, 47-62, 2003-06-30
高山善行(2005)「助動詞「む」の連体用法について」 『日本語の研究』  1(4), p1-15, 2005
Priest, Graham (2008) An Introduction to Non-Classical Logic, Oxford University Press.
Cruse, Alan (2011) Meaning in Language: An Introduction to Semantics and Pragmatics (Oxford Textbooks in Linguistics) Oxford University Press. 
高山善行(2011)「述部の構造」 金水敏ら(2011)『文法史』 (岩波書店)の第2章
高山善行(2014)「古代語のモダリティ」 澤田治美編(2014)『モダリティ 1』 (ひつじ書房)に収録
高山善行(2016)「中古語における疑問文とモダリティ形式の関係」 『国語と国文学』 第93巻5号 p29-41


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