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2018年1月2日火曜日

To sue or not to sue その8 高山善行(2005)の問題点(5) 竜頭蛇尾

高山善行(2005)の問題点(1) 演繹でない推論に「5 論文の冒頭で疑問が呈された「婉曲」「仮定」という従来説の検討が行方不明。同じく「モダリティ表現史」の検討も行方不明。」と書いた。竜頭蛇尾あるいは羊頭狗肉である。

高山善行(2005)はタイトルと要旨を含めて約3ページを費やして、従来説の連体法「む」の「仮定」「婉曲」の解釈、さらには「む」の 基本的意味とされる「推量」に疑問を呈し、「モダリティ論,モダリティ表現史の問題として捉え直してみたい」、「伝統的な助動詞研究が抱える方法論上の問題があると思われる」と述べる(以上、第1.3節まで)。

その上で第2節の「方法」で、「従来の方法は有効でなく、新しい分析方法を工夫する必要がある」として、以下の二種類の名詞句を比較し、

A 「活用語+人」
B 「活用語+む+人」

後者が共起しない表現を調べる。なお、同じ活用語の組で「む」の有無による意味の違いを調べた研究には和田明美(1994)と山本淳(2003)がある。

この論文はAとBの他の語との共起の有無を調べた結果から遡及推論により、「む」は「非現実」を明示的に表わすという仮説を得ている。この仮説は山本淳(2003)の「未確認」であることを明示的に表わすとする説と良く似ている。これについては、問題点(6)で検討する。本稿は遡及推論と書いたが、高山氏は「演繹」と考えているようである。演繹と遡及推論のどちらが相応しいかは、問題点(7)以降で検討する。

「竜頭」の従来説への疑問のうち、検討されたのは「仮定」の解釈のみで、「上記の非現実性を直感的に捉えたものと言える」と述べる。「思はむ子」が仮定であるなら、その子が非現実の存在であるから仮定なのだろうか。直感とは何だろう。山本説であれば、その子を思っているかどうかを確認していないから、やはり仮定となろう。問題点(6)で検討するが、和田論文や山本論文を引用した上で違いを詳述して欲しかった。

「婉曲」は「一方、《婉曲》という理解では、Bタイプの諸制約を説明することができない。《婉曲》については、定義の問題を含めて再検討する必要があろう」と蛇尾に終わる。「推量」についてはその後触れられてもいない。

他の「竜頭」の「モダリティ論」は単に「推量の助動詞」を「モダリティ形式」と言い替えたにしか見えない。事実、高山善行(2016)の注3に「本稿での「モダリティ」は「モダリティ形式」を指す。「推量の助動詞」と読み替えても構わない。」とある。高山善行(2011)と高山善行(2014)にある証拠性の例としてのホピ語という恐らく間違った記述(ホピ語に証拠性がないという記述も無いが、あるという記述を私は知らない)の原因をPalmer, Frank R.(1979)のmodal pastの説明に求めるなら高山善行(2014)の時点で高山氏はまだモダリティ論を理解していないと言えよう。

萬葉学会のP氏は、Frank Palmerら英米の文法学者の言うmodalityとP氏らのモダリティは違うと言うが、高山氏の著書に英米の学者の著書が引用され、参照されている。また、「連体用法「む」にはモーダルな意味(判断的意味)は認めにくく,脱モーダル化した用法と見ることができる」という。それに続く「商品に貼られたラベルのような存在」 の意味が不明であるが、「脱モーダル化」を「推量」の意味が失われたと考えるならば意味が通る。

モダリティ表現史に至っては「 「む」の記述分析が進めば,モダリティ形式の連体用法を解明する糸口がつかめるはずである。」(第1.2節)の一言で終わりである。

結局、高山善行(2005)は「非現実性」を明示的に示すという山本淳(2003)の「未確認」であることを明示的に示すと類似した仮説を提出して終わる。

高山氏の言うモダリティ論とはいったい何だったのかが正直な読後感である。 この問題については問題点(6)以降に論じる。

最後に前回までと同様の引用を行う。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ。」

藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の「エスパー魔美」からの引用である。「法華狼の日記」さんのサイトに詳細な解説とそれに対する読者の反論と議論がある。セリフに漢字が少ないことから窺えるように、この漫画は小中学生を読者と想定したものである。自分の論文が批判されて怒っていたら理系の研究者はやっていられない。相互批判は学問の共同体の当然の権利であり、それが学問を発展させるのである。この当然すぎる常識を萬葉学者たちが受け入れてくれることを祈る。


引用文献
Reichenbach, Hans (1951) The Rise of Scientific Philosophy.
Popper, Karl (1959) The Logic of Scientific Discovery.
Popper, Karl (1972) Objective Knowledge: An Evolutionary Approach.
北原保雄(1984)『文法的に考える』(大修館書店)
和田明美(1994)『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
Palmer, Frank R. (1979) Modality and the English Modals.  飯島周訳『英語の法助動詞』(桐原書店)
Palmer, Frank R. (1990) Modality and the English Modals. 2nd ed.
Palmer, Frank R. (2001) Mood and Modality, 2nd Edition.
高山善行(2002)『日本語モダリティの史的研究』(ひつじ書房)
山本淳(2003)「仮定・婉曲とされる古典語推量辞「む」の連体形」 山形県立米沢女子短期大学紀要 38, 47-62, 2003-06-30
高山善行(2011)「述部の構造」 金水敏ら(2011)『文法史』 (岩波書店)の第2章
高山善行(2014)「古代語のモダリティ」 澤田治美編(2014)『モダリティ 1』 (ひつじ書房)に収録
高山善行(2016)「中古語における疑問文とモダリティ形式の関係」 『国語と国文学』 第93巻5号 p29-41

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