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2018年1月11日木曜日

TSONTS-17 萬葉学会の何が問題か(2)

萬葉学会の審査の妥当性の検討(3)に予告したことの続きである。

Q2. 論文の採否は運で決まるのではありませんか。

A2. それは当落線上の論文の場合です。今まで検討してきた高山善行(2005)を例にとります。

高山善行(2005)の結論は以下です。
「用言(の連体形)+人」の形は


無標の名詞句であり, 現実性一非現実性の意味解釈は基本的には文脈によって決定される。


「用言(の未然形)+「む」+人」の形は


「む」でマークされることによって, 現実性の解釈は排除され, 必ず非現実性解釈となる。


良く似た論文として山本淳(2003)があります。結論は


i 連体形「む」は、未確認の事実について想像する推量辞であり、「む」が持っている本来のはたらきである。
ii 連体形「む」の有無に関して、話者が未確認の事実であることを明示する必要があると判断した時に表れて、その使用については恣意的である。
iii 連体形「む」は、未確認の事実についての想像を示すということと関わって、「む」と意味的に相関する文節に推量辞を伴いやすい。


です。 連体形「む」がある意味を明示する必要があると話し手が判断したときに現われることは全く同じです。違いは「む」の意味だけです。「む」が表わすのは山本淳(2003)が「未確認」、高山善行(2005)が「非現実」です。

その「非現実」の意味は山田孝雄(1908)に「む」は「非現実性の思想をあらはす複語尾」と記されています。

高山説は山田説と山本説を組み合わせたものです。高山善行(2005)が主張する「演繹」が演繹でないことは高山善行(2005)の問題点(1) 演繹でない推論高山善行(2005)の問題点(1再) 演繹でない推論(つづき)に書きました(※)。とすると高山論文に新規性があるかが論文の採否を決定します。これは査読者により当落が分かれます。運が働くのはこのような論文の場合だけです。殆どの論文は当落線上でありません。査読者が何人いても判断が一致します。

※ このブログの記事のことは萬葉学会にメールして以下の伝言を高山善行氏に伝えるようお願いしました。宛先には萬葉学会編集委員長の関西大学の乾善彦氏も入れてあります。ですから必ず伝わっていることと思います。伝言の部分を再掲します。


高山善行殿

高山善行(2005) 「助動詞「む」の連体用法について」 『日本語の研究』  1(4), 1-15, 2005の問題点を次の記事で論じています。

高山善行(2005)の問題点(1) 演繹でない推論
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-2.html

高山善行(2005)の問題点(2) データの整理が不適切である
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-3-20052.html

高山善行(2005)の問題点(1再) 演繹でない推論(つづき)
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-4-20051.html

高山善行(2005)の問題点(3) モダリティの理解不足
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-5-20053.html

高山善行(2005)の問題点(4) 主観と客観の混交
https://introductiontooj.blogspot.jp/2017/11/to-sue-or-not-to-sue-6-20054.html

今後も継続する予定です。上記記事並びにその継続記事に対して意見があればコメントまたはメールにて連絡をお願いします。


山田孝雄(1908)は国会図書館のデジタルコレクションで自宅のPCから閲覧できます。「演繹」については論理学(と言っても高校レベルですが)が苦手な人でも納得して貰えるような説明を考えているところです。

最後に慣例となった引用を行う。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ。」

藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の「エスパー魔美」からの引用である。「法華狼の日記」さんのサイトに詳細な解説とそれに対する読者の反論と議論がある。セリフに漢字が少ないことから窺えるように、この漫画は小中学生を読者と想定したものである。自分の論文が批判されて怒っていたら理系の研究者はやっていられない。相互批判は学問の共同体の当然の権利であり、それが学問を発展させるのである。この当然すぎる常識を萬葉学者たちが受け入れてくれることを祈る。


引用文献
山田孝雄(1908)『日本文法論』(宝文館)
北原保雄(1984)『文法的に考える』(大修館書店)
和田明美(1994)『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
Palmer, Frank R. (1979) Modality and the English Modals.  飯島周訳『英語の法助動詞』(桐原書店)
Palmer, Frank R. (1990) Modality and the English Modals. 2nd ed.
Palmer, Frank R. (2001) Mood and Modality, 2nd Edition.
高山善行(2002)『日本語モダリティの史的研究』(ひつじ書房)
山本淳(2003)「仮定・婉曲とされる古典語推量辞「む」の連体形」 山形県立米沢女子短期大学紀要 38, 47-62, 2003-06-30

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