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2018年1月3日水曜日

To sue or not to sue その9 高山善行(2005)の問題点(6) 引用すべき論文が引用されていない

高山善行(2005)の問題点(1) 演繹でない推論に「6 先行文献の引用が不適切。」と書いた。本文で言及されていない論文がある一方、参照されるべき論文が論文が引用されていない。

引用されながら本文で参照されていないのは、
Milsark,  Gary  1974.  Existential  Sentences  in  English, Doctoral dissertation.  MIT,  Cambridge,  MA.
である。There構文に関する共起制限(co-occurrence restriction)が論じられているらしい(他のトピックもあるかもしれない)。もしも高山氏がQ氏(本ブログでク語法の論文を査読した萬葉学会員) であれば、P氏が言う(おそらくQ氏の言葉そのままの)「構文的意味」と関係するのかもしれない。高山氏がQ氏であればいくつかの事実と辻褄が合う。しかし現時点で高山氏がQ氏かどうかは半信半疑である。高山氏はMilsark(1974)を引用して共起制限について語る予定だったのかもしれない。しかし共起制限は何かを演繹的に証明するものではない。その原因を探る仮定で当該の言語の構造や過去の発展について何らかの興味深いアイデアを得るかもしれないだけである(Kreger (2004)の記述を参考にした)。

引用すべきなのに引用されていないのは和田明美(1994)と山本淳(2003)である。

和田明美(1994)『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
山本淳(2003)「仮定・婉曲とされる古典語推量辞「む」の連体形」 山形県立米沢女子短期大学紀要 38, 47-62, 2003-06-30

和田明美(1994)は例えば第6章の一人称の「む」の検討の節で


霍公鳥汝が初声は我れにもが五月の玉に交へて貫かむ(将) 万10-1939
橘は己が枝枝なれれども玉に貫く時同じ緒に貫く 日本書紀歌謡125

」 

など、「む」の有無の例を10組について検討している。同様の検討はこの箇所に留まらない。高山善行(2005)の「人」への連体修飾ではないが、「貫く」と「貫かむ」のような「ミニマルペア」の検討は先行している。

また、第6章の二節の3-VIの「「む」は婉曲を表わすか」では、「言はむ術」と「言ふ術」などの「む」の有無に基くミニマルペアの検討を行なっている。ただし、そこに示されたのは「む」のある用例だけで、ない用例は作例である。しかし、ミニマルペアを比較して婉曲という従来説に疑問を呈しているのであるから、引用して検討すべきであった。高山善行(2002)は明美(1994)を参照論文に上げている。

高山善行(2005)の引用文献に関して最大の問題は山本淳(2003)を引用していないことである。高山氏は中古語が専門であり、その中でもモダリティ(高山氏のモダリティは推量の助動詞と等しい)を詳しく研究している。その高山氏が枕草子を題材として「む」の連体形を「む」の無い形とのミニマルペアで比較し、他の語との共起関係を調べ、次の結論を得ている。


i 連体形「む」は、未確認の事実について想像する推量辞であり、「む」が持っている本来のはたらきである。
ii 連体形「む」の有無に関して、話者が未確認の事実であることを明示する必要があると判断した時に表れて、その使用については恣意的である。
iii 連体形「む」は、未確認の事実についての想像を示すということと関わって、「む」と意味的に相関する文節に推量辞を伴いやすい。


この山本淳(2003)の結論は高山善行(2005)の


Aタイプは無標の名詞句であり, 現実性一非現実性の意味解釈は基本的には文脈によって決定される。一方, Bタイプは「む」でマークされることによって, 現実性の解釈は排除され, 必ず非現実性解釈となる。


と良く似ている。似ていないと高山氏が言うのであれば、山本淳(2003)を引用して違いを明らかにすべきであった。国文系学科の紀要は他大学の国文系学科に配布されるのが通例である。中古語の推量の助動詞を専門とする高山氏である。山本淳(2003)のタイトルを見れば必ず目を通すだろう。当該の紀要が高山氏の勤務先である福井大学の国文科に配布されていなかったとしても、CiNiiのような簡単な検索サイトで発見できる。同僚から紹介もされることもあろう。無人島で電話もメールもなく生活しているわけではない。山本氏が他誌へ投稿した原稿を編集委員や査読者として高山氏が読んだ可能性もありうる。

データの整理の部分で高山氏は母数を勘案した比較を行なっていない。これについては問題点(2)に書いた。「む」のないAタイプと「む」のあるBタイプは母数が6倍近く違う。すると、Aタイプで11例共起し、Bタイプが2例共起したとすれば、共起の割合は2例しかないBタイプが11例あるAタイプより多くなる。そのようなことをすれば、たとえ悪意はなくとも、Bタイプで共起が少ないとする高山氏の主張に不利なデータを見えにくくしたと疑われる。その疑いは山本淳(2003)を引用していないことにも及ぶ。

百歩譲って高山氏が後述する安田尚道(2003)とは違い、山本淳(2003)を手に取っていなかったとしても、これは高山氏の落ち度であり、査読者は高山善行(2005)の改定を要求するのが当然である。国語学系の学会は引用文献を調べていないように思える。著者が大学の教員であれば読まずに掲載と決めているのだろうか。

査読者の盗用は、国際的な学会であれば、あり得るとして対策をとっている。しかし、それでも万全と言えないので、プレプリントサーバーへのポスティングが流行する。村上陽一郎(1994)に興味深い記述がある。第5章の「その倫理問題」の「窃盗同様の行為」の節から引用する。

もっと極端な事例として知られるのは、次のようなレフェリー絡みの話である。興味深い内容の論文原稿があるレフェリーの手許に回ってきた。そのレフェリーは、その論文にケチを付けて、著者に変更の要求とともに返送すべきである、という審査結果を出した。編集委員会が、この結果に基づいて手続きをしている聞に、このレフェリーは、当の論文の重要な部分を自分の論文に仕上げて、さっさと審査を通過させ、発表してしまった、というのである。これでは、窃盗と言われでも仕方あるまい。

そのような行為への対策であろうが、理系の世界では(90年代では)投稿した原稿のコピー一部に受付印が押されて投稿者に返送されるが、その全ページに渡って雑誌名と受け付けた日付が穿孔される。従って、何年何月に投稿した原稿が学会に受け付けられた(received)ことの証拠が投稿者の手元に残る。村上氏が書いているような行為が行なわれるのは十分想定されるだろうから、同様の対策を国語学系の学会もとっていると思っていたが、そのようなことをする学会は(関係者によると)聞かないそうである。世の中に悪人がいるとは思いたくないが、現実に起こりうることである以上、何らかの対策は必要であるし、そのような対策はまた、無用な疑いを生じさせないという効果もある。

橋本進吉氏が先行研究を引用していれば次のような論文は出現しなかった。安田尚道(2003)は橋本進吉氏の上代特殊仮名遣いの再発見が石塚龍麿氏の著作の盗用の可能性を議論したものであるが、同論文が指摘するように、「そもそもどんな学問分野でも,先行研究の存在を知らずにであろうと後から同内容の研究を行なってもプライオリティーを主張できない,というのは常識」である。しかし石塚氏の場合はアイデア(この語は国語学の世界では評判が悪いようであるが、創造的な分野では重視され、良いアイデアを生み出す能力は尊敬される)を書き留めて後世に残されたから幸いであった。そうでなければ盗んだ者勝ちになってしまう。人間には出来心というものがある。国語系の学会も原稿が盗用されにくいシステムを作るべきと思う。

最後に前回までと同様の引用を行う。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ。」

藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の「エスパー魔美」からの引用である。「法華狼の日記」さんのサイトに詳細な解説とそれに対する読者の反論と議論がある。セリフに漢字が少ないことから窺えるように、この漫画は小中学生を読者と想定したものである。自分の論文が批判されて怒っていたら理系の研究者はやっていられない。相互批判は学問の共同体の当然の権利であり、それが学問を発展させるのである。この当然すぎる常識を萬葉学者たちが受け入れてくれることを祈る。


引用文献
Reichenbach, Hans (1951) The Rise of Scientific Philosophy.
Popper, Karl (1959) The Logic of Scientific Discovery.
Popper, Karl (1972) Objective Knowledge: An Evolutionary Approach.
北原保雄(1984)『文法的に考える』(大修館書店)
和田明美(1994)『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
Palmer, Frank R. (1979) Modality and the English Modals.  飯島周訳『英語の法助動詞』(桐原書店)
Palmer, Frank R. (1990) Modality and the English Modals. 2nd ed.
村上陽一郎(1994)『科学者とは何か』(新潮社)
Palmer, Frank R. (2001) Mood and Modality, 2nd Edition.
高山善行(2002)『日本語モダリティの史的研究』(ひつじ書房)
安田尚道(2003) 「石塚龍麿と橋本進吉--上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」 『国語学』 54(2), p1-14, 2003-04-01
山本淳(2003)「仮定・婉曲とされる古典語推量辞「む」の連体形」 山形県立米沢女子短期大学紀要 38, 47-62, 2003-06-30
高山善行(2011)「述部の構造」 金水敏ら(2011)『文法史』 (岩波書店)の第2章
高山善行(2014)「古代語のモダリティ」 澤田治美編(2014)『モダリティ 1』 (ひつじ書房)に収録
高山善行(2016)「中古語における疑問文とモダリティ形式の関係」 『国語と国文学』 第93巻5号 p29-41

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