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2017年1月26日木曜日

国語学の学会というギルドと五円玉に働く念力

小学生の頃に見たテレビ番組です。五円玉の穴に紐を通して縛ります。長さは10-15cm。その端を指で摘まんで五円玉をぶら下げ、「動け、動け」と念を送り続けます。程なくすると五円玉が少しずつ動き始めます。番組の出席者は一同に驚いていました。

早速真似してやってみました。何もしていないのに念を送るだけで五円玉が動きます。次に紐をテーブルの端に固定して念を送ってみました。すると全く動きません。何もしていないのではなく、紐を支える手を本人が気付かないほど僅かに動かしていたのです。それが積み重なって五円玉が動き出すという仕掛けですが、紐の長さも重要です。それで固有振動数が決まります。

このブログに発表したズハの論文、A雑誌に投稿したミ語法の論文、B雑誌に投稿したク語法の論文ともう一本の論文の合計四本の論文を、大学の国文科を卒業して高校で古文を教えていた知人に読んでもらいました。知人は嬉しい指摘と残念な指摘の両方をしてくれました。前者は論文としての水準が高いこと、後者は掲載される可能性が非常に低いことでした。水準が高く、かつ、従来の定説を覆す論文の著者が外部の人間であれば、国語学の雑誌に認められるはずがないのだそうです。

その意見を聞いたときの私の気持ちは半信半疑でした。それまで所属していた(今も所属している)学会では考えられないことだったからです。しかし知人はいくつかの実例をあげてもくれました。知人はガラパゴス化という言葉を使いましたが、ギルドと私は感じました。既得権益を部外者に渡さないための排他的な団体という意味です。

多くの学会ではギルドを作ろうとしても作れません。発表の場は世界中にあります。日本の学会が外部の人間の論文を掲載しなかったら、その著者は海外の雑誌に投稿すれば良いのです。しかし知人がガラパゴスという国語学に限れば、発表の場はほぼ国内に限られます。国際的な研究が為されている学会ではあれば、そのようなギルドは維持できませんが、国語学会のような国内に限られた学会であれば維持できます。

とすると、問題は学会の各会員がギルドの維持を目指す行動をするか否かになります。私が今まで参照した国語学の学会誌の「日本語の研究」、「国語学」、「萬葉」、「国語と国文学」、「国語国文」に掲載された論文の著者は、
① 大学の国文科などの教員
② 国文科の学生や院生
③ 国文科卒で中学高校などの教員
に限られます。もちろん、掲載されたすべての論文を調べたわけではありません。漏れもあるでしょう。しかし今まで読んで論文については大部分が①、稀に②、更に稀に③でした。

今まで所属していた(今も所属している)理系の学会の場合は著者の大部分が企業の研究者です。実験を行なうには高価な設備と機器が必要です。その点で企業が有利だからです。大学に限れば、これも予算の関係でしょう、旧帝大の教員と学生が圧倒しています。寺田寅彦氏や中谷宇吉郎氏の時代のような予算を使わない研究をしているのは、国内ならば予算が少ない大学の研究者、海外ならば名前が東欧風や中国風の研究者に多い。

国語学の研究のうち雑誌に発表されるのは大学関係者のものが殆どです。それ以外の著者の論文を少なくとも私は読んだことがありません。しかし、萬葉学会や日本語学会の会員のうち文学部以外の卒業生はどれだけなのか、彼らの投稿数はどれほどなのか、その数字もゼロなのでしょうか。

私は自分が書いた論文について、海外の見知らぬ研究者や学生から別刷りを送って欲しい、引用文献の写しが欲しいなどの依頼を受けるのは珍しくありませんし、初対面の大学の先生や他企業の研究者に電話で問い合わせをしたことが何度もあります。いずれも親切に対応してもらいました。同じことを国語学の大学教員に対して行なったことがありますが、「私の論文は各大学の図書館が所蔵していますから近くの大学に問い合わせてください」のような、今までの自分の中の常識から言えば不親切極まりない対応ばかりでした。理系の研究者であれば自分の研究を知って欲しいと考えているので、特にお願いしていないにも関わらず論文集や論文の別刷りを送っていただくことも頻繁にありました。

その違いについて件の知人に尋ねたところ、それが国語学の教員の外部の人間に対する当たり前の態度であると言われました。私が問い合わせをした人たちがとくに変わっていたわけではなく、一般的な対応なのだそうです。自分たちの研究は非常に専門性が高い、ゆえに外部の人間の理解するところではない、ゆえに相手にするのは無駄な時間である。そのように考えているのでしょうか。

理系の学問の世界に非専門家が入っていくことは困難です。専門的な教育が担うのは知識の養成だけでなく、数学などの論理的な思考の訓練を含みます。前者は本から知識を得られますが、後者はスポーツや楽器演奏の実技のようなものです。誰かコーチがいないと出来ません。問い合わせをする人は同じ専門家に限られます。だから親切に応じるのでしょうか。

一方、万葉集や源氏物語は専門教育を受けていなくても読めます。それゆえ非専門家が参入することがあり得ます。また海外から問い合わせが来るなどということは滅多にありません。見知らぬ人に慣れていないから、そして見知らぬ人は非専門家に限られるから、閉鎖的になるのでしょうか。あるいは次のようなこともあるのかもしれません。

文学と科学技術の間に相互理解がないことは、C. P. Snowが1959年のThe Two Culturesで指摘しています。しばしば引用されるという箇所を私訳します。


ある集まりによく出席していた。参加者は、伝統的な文化の基準では、皆教養のある人たちとされる。彼らの格好の話題に、科学者は信じられないほど本を読まないというのがあった。一二度挑発的な質問をしたことがある。「あなた方のうち何人が熱力学の第二法則の定義を言えるのですか」と。無視されたり否定されたりした。だが、科学の世界では、この質問は「シェイクスピアを読んだことがありますか」と同じなのである。

今にして思えばもっと簡単な質問をすれば良かった。たとえば、「質量や加速度の意味がわかりますか。これは科学の世界では字が読めますかと同じなんですよ」と。そうすれば、その教養のある人たちの、せいぜい十人に一人には、私の言葉の意味が通じただろう。物理学の巨塔は日々成長を続けている。西洋の知識人でも、その大多数が見通せる度合いは、新石器時代のご先祖と変わらないのである。


文学部の人たちが理系の学部の人は本を読まないと指摘するかもしれませんが、理系の学部の人たちが文学部の人は科学を知らないということはありません。個々の場合ごとに考えれば良いことです。無理に一般化する必要がありませんし、一般化が可能でもありません。もしも文学部の卒業生が理系の学会誌に論文を投稿した場合、学歴や職歴は査読に影響しません。論文の内容だけで判断されます。展開される推論に誤りはないか、結論に新規性はあるか。論点はそれだけです。今まで誰も言わなかったことを正しい推論で述べていればその論文は受理されます。

その逆はどうなるか。国語学に特有の非論理的な推論で指摘してきたように国語学の論文には感性(感情)に基く推論が用いられます。そのような論文が査読を通るということは査読する人たちも非論理的な推論をするということです。国語学は本来は科学ですが、現状は文学や芸術の仲間なのでしょう。論理ではなく感性(感情)に基く判断や推論が為されます。そのような判断は客観性に欠けることは言うまでもありません。

日本語学会の投稿規定に投稿原稿査読の二重秘匿性という項目があります。「と思われる」式の非論理的な推論が主体であれば、査読結果が査読者の感性(感情)の影響を強く受けるのは仕方のないことです。そのような影響を避けるには、不掲載の場合の理由を明らかにして投稿者との間で意見交換を行なう理系の学会で一般に用いられている方法にすべきではないでしょうか。国文学が感情的な判断であることを否定しませんが、国語学は言語学であって自然科学あるいは社会科学に属する分野です。そこに非論理的な推論を持ち込むことに問題があります。

文学部の卒業生が理系の論文を投稿しても学歴が文学部卒だからという理由で拒絶されることはあり得ません。査読者は論文の新規性と推論の妥当性だけを見るからです。一方、他学部の卒業生が国語学の論文を投稿した場合はどうでしょう。査読者の中にSnowが指摘するような「科学者は信じられないほど本を読まない」ことをしばしば話題にする学風(culture)があれば、必要以上に問題点を探そうとするかもしれません。また、その問題点の指摘に非論理的な「と思われる」式の推論を用いるかもしれません。逆に投稿者が専門家であれば、問題点を探そうとする努力が必要に満たないかもしれません。問題点が認められても非論理的な推論の結果見逃すかもしれません。

非専門家だから間違いがあるはずだと思って読めば、間違いでないものを間違いとしてしまうのは、冒頭で述べた五円玉の振り子に念を送る話と同じです。専門家だから正しいと思って読めば、間違いであっても間違いでないとしてしまうかもしれません。これも五円玉の振り子と同じです。

非専門家に古典文学は理解できないという間違った思い込みと、「と思われる」式の非論理的な推論があいまって、結果として国語学の学会をギルドにし、投稿された部外者の論文を不掲載としてきたのではないでしょうか。知人の言うことは、そのような歴然とした悪意はなくとも、結果としてそのような状況を作り上げているという点で正しかったと思うに至りました。

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