Google Analytics

2017年1月27日金曜日

ク語法の真実 その1 「言はく」は「言ふこと」か 背景

以下、2020年06月09日追記。

中高校生の皆さんは読まないでください。学校で教える古典文法と違うことが書いてあります。

これは萬葉学会という国内の小さな学会に、2016年に投稿して不掲載となった原稿を、漢数字を洋数字に変換してそのまま掲載したものです。そのため「三船」が「3船」や「思莫苦二」が「思莫苦2」などの誤変換がありました。様々な検索エンジンで上位に掲載されているようで頻繁にアクセスがあります。みっともないので今訂正しました。

企業の研究所に所属して論文を海外の学会誌に投稿していました。学会誌の査読の経験もあります。 学術論文とは何かを知っているつもりでした。日本物理学会や応用物理学会を通じて大学の先生方とも付き合いがありました。同じ研究者として対等に付き合えました。理系の研究はむしろ企業のほうが予算が多いのです。アメリカのベル研究所などノーベル賞をたくさん受賞しています。

しかし日本の文学部は全く違うculture(風土)なので驚きました。大学の教員たちが習った文法と違うというだけで「説得力がない」と言われました。学術論文は従来説と同じでは意味がありません。今まで誰も言わなかったことや気付かなかったことを書くからこそ意義があります。従来説の繰り返しでは論文ではなく解説記事です。それでは学問が進歩しません。

間違いがあるなら指摘して欲しいし、反証があるなら挙げてほしい。そう言いましたが、「説得力がない」「完成度が低い」の繰り返しです。理系の学会や人文系でも英語圏の学会は、論文の著者と査読者は対等です。査読者の主観で拒絶できません。どこが悪いかの理由を必ず示しますし、その意見に著者は反論できます。論文の審査は個人の主観ではなく客観的な事実や論理に基づいて行われます。しかし萬葉学会や上代文学会は大学の教員の主観的判断が絶対でした。このままではアイデアを盗まれるのではないかと恐れて原稿をそのまま公開しました。

ちなみに同時期に投稿した「ミ語法」の論文は他の学会に受理され、国立国語研究所の『日本語学論説資料』に転載されました。これは私の「ミ語法」の論文が正しいということではありません。従来説と違う説だから掲載され転載されたのです。学術論文とはそういうものです。他と同じ考えを書いても価値がありません。それは研究者のコミュニティの常識だと思っていました。

 以上、2020年06月09日追記。以下は2016年に萬葉学会に投稿した論文の漢数字を洋数字に変換してブログ記事の横書きで読みやすくしたものです。

 ク語法は活用語を名詞化する方法と言われる。「言はく」は「言うこと」、「良けく」は「良いこと」、「降らまく」は「降るだろうこと」と口語訳される。確かにそのように訳せば歌意は通る。しかし、正しい理解が合理的な訳文を導くことは確かだが、意味が通ることはその理解が正しいことを保証しない。

 万葉集に「なくに」の形のク語法が約150例(数え方が訓読に依存するため)ある。たとえば次の歌である。

1-1 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思はなくに(思莫苦二)    万03-0244

 ク語法が単に活用語を名詞化するためであれば「思はぬに」でも良い。しかし、万葉集に「思はなくに」が約26首あるに対して「思はぬに」は約7首である。また、「あらなくに」が約45首に対して「あらぬに」は約1首である。この違いは何だろうか。

 「なくに」は詠嘆の余情を残すと言われる。それは現代人の感覚であるが、上代人も同じに感じたのだろうか。

 私事になるが、稿者は高校の英語の授業でhad betterとshouldを習った。前者は「したほうが良い」、後者は「するべき」と教わった。大学に入ってもそう思い続けていた。就職して数年後にアメリカの子会社を担当する部署に異動した。アメリカ人はshouldとは言うが、had betterとは言わない。日本人と違いアメリカ人は直接的な表現を好むのだろうと考えていた。しかし、しばらくして日本語の「したほうが良い」にあたるのがshouldであり、had betterは威圧的な表現だということを知った。相手の表情を見ながらする会話でさえ、had betterは柔らかい言い方、shouldはきつい言い方と思い込んでいると、疑いもなくそう感じてしまう。文字で読むことしかない万葉集では尚更であるまいか。

 活用語の名詞化というク語法の意味に現在まで異論はない。あるとすれば本稿だけだろう。しかし、成立については幾つかの説がある。『日本国語大辞典(第2版)』は以下の(イ)から(2)の説を紹介する。

 (イ)「四段活用・ラ変動詞・助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形、形容詞には古い未然形「け」にそれぞれ接尾語「く」が付き、その他の場合には、終止形に接尾語「らく」が付き、助動詞「き」は例外として連体形に付くとする。体言的な意味をもつものが未然形に付くとする点や接続が統1的に説けない点などに問題がある。」

 (ロ)「活用語の未然形に、推量の助動詞「む」の零表記を媒介として、「こと」を意味する不完全名詞の「く」が付いたとする。活用語と「く」との中間における推量語の隠在または脱落を認めるには、なお、顕在の例、また音韻論的説明が必要である。」

 (ハ)「活用語の連体形に接尾語「く」が付くとする。その際、連体形の語尾が音変化することの説明が困難である。」

 (ニ)「活用語の連体形に形式名詞「あく」が付くとする。「恋ふるあく」が「恋ふらく」に、「寒きあく」が「寒けく」になどの変化は説明されるが、助動詞「き」に付いて「(思へり)しあく」が「せく」とならず、「(思へり)しく」となることの説明、「あく」が形式名詞として単独に用いられた証拠については、なお問題が残る。」

 その一つ一つを批判することを本稿はしない。ク語法の成立に立ち会った人はいない。各説はいずれも同じ意味を導くものである。定説となっているク語法の意味が正しければ、どの説もそれと整合するものであるから、その真偽を決定できない。もしも、定説の意味が間違いならば、いずれも間違いである。

 自然科学の世界では正しい理論は美しいと言われる。美しいとは数式が単純で対象性があることである。間違った理論は新しい発見のたびに修正を迫られる。そのたびに複雑化する。それまでの観測事実に合致させるためには、誕生した段階で既に複雑である。正しい理論ならば初めから単純であり、新しい発見があっても修正されることがない。そのように考えるならば、正しい理論は美しく、美しい理論は正しい、と自然科学者の多くが信じることに全く根拠がないわけではない。

 ク語法の成立の説明で一番単純なものは、連体形に「あく」という語が付いたとする説である。最初に唱えたのはAston 1877であり、次に唱えたのは大野晋1957である。この「あく」の意味をアストンは「あること」と推定した。大野説によれば「あく」は「ところ」や「こと」の意味だという。成立の説明という点から見れば両説は美しい。しかし、意味の上では、連体形だけで「こと」や「もの」の意味を表わせるのに同じ意味の語を重複させるのは美しくない。

 アストン・大野説を美しくするには「あく」が単なる「こと」の意味であってはならない。さらに、アストンのいうように「あ」が「あり」の「あ」、「く」が「こと」の「こ」であるのだろうか。また、「あくがる」の「あく」に「こと」や「ところ」の意味があるのだろうか。

 本稿の目的はアストン・大野説を美しくすることにある。
(つづく)

 最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献
Aston 1877 A grammar of the Japanese written language, 2nd ed. (古田東朔1981による)
Aston 1904 A grammar of the Japanese written language, 3rd ed. (カリフォルニア大学のサイトで閲覧)
有坂秀世1940 「シル(知)とミル(轉)の考」 『国語と国文学』 『国語音韻史の研究 増補新版』(1957 三省堂)に収録
有坂秀世1944 「国語にあらはれる1種の母音交替について」 『国語音韻史の研究』 (明世堂) 『国語音韻史の研究 増補新版』(1957年 三省堂)に収録
金田一春彦1950 「国語動詞の一分類」 『言語研究』(名古屋大学) 15     『日本語動詞のアスペクト』(1976 むぎ書房)に収録
金田一春彦1955 「日本語動詞のテンスとアスペクト」 『名大文学部研究論集』(名古屋大学) 10 文学 4 『日本語動詞のアスペクト』(1976 むぎ書房)に収録
大野晋1955 「万葉時代の音韻」『万葉集大成 6言語編』(1955 平凡社)
大野晋1957 「校注の覚え書」 『日本古典文学大系 万葉集1』(1957 岩波書店)
北條正子1973 『品詞別日本文法講座 10 品詞論の周辺』 (1973 明治書院)
井手至1964 「ク語法(加行延言)アクの説は悪説か」 『国文学 解釈と鑑賞』 29年11号
井手至1965 「万葉集のク語法」 『人文研究』 16(3)大阪市立大学
木下正俊1972 「なくに覚書」 『万葉集研究 第1集』(1972 縞書房)
Bernard Comrie 1976, Aspect, Cambridge University Press
古田東朔1981 「外の人々から見たク語法」 『香椎潟』 26 福岡女子大学山田小枝1984 『アスペクト論』(三修社)
日本国語大辞典 第2版(2001 小学館)
山口佳紀2009 「家持歌『悲しけくここに思ひ出』考」 『美夫君志』 79号 『古代日本語史論研究』(2011 風間書房)に収録
金水敏2011 『文法史』(2011 岩波書店)
小田勝2015 『古典文法総覧』(2015 和泉書院)

0 件のコメント:

コメントを投稿