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2016年12月3日土曜日

プライオリティと査読と盗用と

上代語の研究をブログで公開することについて、プライオリティは大丈夫かと心配される方がありました。

企業の研究所にいて他の研究者や大学の先生方とお付き合いしていると、ときどき聞くのが「取った」「取られた」の話題です。私自身も体験しました。そのとき上司からこんな話を聞きました。

二人の人間が話をすると、相手が言ったことか自分が言ったことかの区別が付かなくなることがある。悪意の有り無しにかかわらず、結果として盗用されることがある。その被害を防ぐには文書化が大切である。社内であれば報告書を書くこと。社外であれば論文誌へ投稿すること。

ある学会に出席したとき、宿泊先の近くの居酒屋へ一人で出掛けるとカウンターにいたおじさんが話し掛けてきました。最初は地元の人かと思いましたが、某大学の教授でした。学会の講演会は話すところでなくて、研究の種を仕入れるところである。話すよりPRLへ投稿すること。べらべらしゃべっても何の得にもならない。二十年以上前のことですから記憶が不確かですが、そのようなお話でした。

他の大学の人からは酒の席でもっと生々しい体験も聞きましたが、 とてもお話できません。歴史に残る有名な研究者でも、アインシュタインはポアンカレのアイデアを、ニュートンはフックの、などという話を聞きますが、真偽のほどは私には分かりません。日々のニュースにも某大学の教授の論文盗用が発覚したなどということがしばしば伝えられます。

物を盗んだ場合は、その物が元の場所から盗んだ人の手元に移動します。 盗まれても気付きます。物の存在が盗んだことを証明します。しかし情報という形がない物の場合は、元の場所にそのまま存在します。紙幣であれば番号がありますが、情報には印が付いていません。さらにまた、一度知られた情報は元に戻すことが出来ません。

発明や発見には特許制度がありますが、無断で特許を利用されてもその証拠を確保することは簡単ではありません。同業他社へアイデアが漏れることを防ぐために、特許を取得せずノウハウに留めることがあります。しかしその情報が漏れて他社に先に特許権を取得されては本末転倒です。昔のように定年まで同じ会社にずっと勤めることが普通ではなくなりました。試作品や製造装置を外注した先の業者が同業他社に営業のために訪れて、あそこの会社から最近こういう装置の注文を貰いましたなどと話すこともあります。業界首位の企業の動向は二位以下の企業の技術者の関心の的です。

そうなっては困りますから、各企業とも先使用権の確保に懸命です。アイデアのような形のないものでも、いつ社内の誰が思い付いたかを記録し、社内や社外の認証を得る様々な工夫を行なっています。人間が皆正直であればこんな無駄な仕事をしなくて済むのになどと当時は思ったものです。

「はじめに」に書きましたが、研究の一端をいくつかの雑誌に投稿しました。その時に驚いたことがあります。驚いたというのは理系の学会では常識だと思っていたことが、国語学関係の学会では常識でなかったからです。どちらの常識が正しいかという話ではありません。それは相対的なことです。それぞれの常識が正しいのです。

理系の学会では、少なくとも私が投稿した雑誌では、投稿された論文の審査は次のような手順を経ます。

①雑誌の編集者(editor)に原稿とそのコピーを送る。
②編集者は受領の日付(date of receipt)が入った穿孔印を原稿のコピーに押して投稿者に返送する。
 ※ 受領の日付は掲載が決定した日付(date of acceptance)とともに雑誌に記載されます。滅多にないとは思いますが、査読者による盗用を防いでくれもします。穿孔印ですから全ページに押されます。
③編集者は原稿を査読者に送り査読を依頼する。
④査読者は掲載の可否と理由を編集者に通知する。
⑤不掲載の判断の場合、編集者はその理由を投稿者に送り反論を求める。
⑥場合によっては④から⑤が繰り返される。
⑦編集者は両者の意見を吟味した上で掲載の可否を決定する。

国語学の学会の多くは、少なくとも私が問い合わせたところはすべて、②と⑤がありませんでした。

②がないと、どんな内容の原稿を送り、それがいつ受領されたかの証拠が残りません。理系の学会は世界的な組織ですから、研究者ごとに所属する文化や道徳の基準が異なります。また、多数の研究者が関わるので研究の進捗速度も速く、文字通り一刻を争います。「取った」「取られた」の争いを防ぐためには原稿の全文に渡る受領の証明が必要なのだと考えます。

大人が大人の意見を判断するのですから、⑤がないのも不思議でした。投稿者が個人的に嫌いだからとか、投稿者の所属する大学に手柄を渡したくないとか、そういう悪意ある人物はいないという理想主義的な考えだとは思いますが、一方で、国語系の学会の中には論文の原稿に投稿者の名前がわかるようなことを書いてはいけないと投稿規定に書いているところもあります。それが現実なのでしょうか。それも重要でしょうが、投稿者に反論を認めるようなシステムであったらと思います。私が所属してきた世界では個人的な感情ややライバルの手柄を云々は聞きませんが、自分の理論と違うから間違いであるという結論を出す人はいました。それが分かったのも⑤があったからです。論文の内容を理解できないために、あるいは誤解したために、棄却される可能性がないとは言えません。

国語系の学会の査読者を疑う気持ちはありませんが、この②と⑤がないというのは理系の学会で活動して来た者には大いに不安を感じさせます。念の為、投稿の前に原稿のコピーを友人たちに送り受領の日付と署名をお願いしました。また、企業の研究所で学んだいくつかの対策も施しました。別件で弁護士に会う機会があったので、そこでも対策を相談しました。意外なことが裁判で証拠として通用すると教えて貰いました。

友人は全員理系なので、大学の国文科を出て高校で古文を教えていた知人にも原稿を見てもらいました。良い評価を得られたので安心しました。もちろん、本人は掲載されて当然の水準にあると信じてはいましたが、それは身贔屓の可能性があります。客観的な意見が聞けて良かったと思います。

これからブログで発表して行く内容は、投稿して落選したものが中心になるでしょう。重要な発見については国際的な言語学の論文誌への投稿を予定しています。しかし、これから述べるかもしれないミ語法、ク語法、その他もけしてつまらない内容ではなく、今までにない新しい知見を提供できると信じています。個人的には今まで半導体の物理でしてきた仕事以上のものであると思います。ご期待ください。けして素人のトンデモ系の論説ではありません。

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

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