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2016年12月6日火曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その5 本稿の仮説

従来の仮説は「ずは」の語法を一律に仮定条件文として解釈できていません。

本稿は次の仮定からなる仮説に基きます。

仮定1 「ずは」の構文を一律に否定の仮定条件文として扱う。
仮定2 後件に現われる「まし」「てし」「もが」は願望でなく反事実または未来の仮定表現とする。
仮定3 上代人は現代人以上に言語の論理に敏感であった。

本稿は「ずは」の構文をすべて仮定条件分として扱います。そのために仮定1を置きます。同様の試みは従来提案されてきました。しかしながら、少なくとも現時点で、その意味の現代語訳を示したものはありません。企業の研究者や技術者は年間一件乃至二件の特許出願のノルマを課せられることが多くあります。具体的手段を示さずに方針だけを書いて出願すれば「発明者の希望を述べたものにすぎない」という定型文を理由に拒絶されます。本稿の仮説が「希望を述べたものにすぎな」くないことを示すために、具体的手段である現代語訳を付した検証を次節以降で行ないます。

万葉集の注釈書の殆どが宣長説に従っています。その原因は助動詞の「まし」「てし」「もが」が願望を表すとしたためだと考えます。そのように解釈する限り、「ずは」の構文を一律に否定の仮定条件文として扱えません。それが仮定2を置く理由です。「まし」等の意味を願望と固定して「ずは」の解釈を適合させたのが宣長説や橋本説などの従来の仮説であるならば、本稿は「ずは」の意味を否定の条件文を表すと固定して、「まし」の意味を再解釈します。伊藤博(1995)の「「ずは」は、集中最も難解な語法で、永遠に説明不可能であろうといわれる。」という予想が有名ですが、本稿の方法によって初めて、後の節で述べるように、「ずは」の語法を仮定条件文として一律にかつ合理的に解釈できました。

ここで「ずは」と「まし」の時制(tense)を確認します。

万葉集に「ずは」は60余例ありますが、いずれも時制から独立です。5-1は過去、5-2は恒常状態、5-3は未来の記述です。

5-1 初めより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに逢はましものか   万04-0620
5-2 験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし   万03-0338
5-3 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ   万20-4441

「まし」は完了、回想などの助動詞を下接させません。5-4は現在と未来の例、5-5は過去の例です。

5-4 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし   万02-0159
5-5 あらかじめ君来まさむと知らませば門に宿にも玉敷かましを   万06-1013

このように「ずは」も「まし」も時制から独立です。鈴木朖(1824)は用言を「形状の詞(ありかたのことば)」と「作用の詞(しわざのことば)」に分類しました。イ段で終わるものが前者、ウ段で終わるものが後者です。石垣謙二(1942)はそれを発展させ、助動詞を含めて、活用語を形状性用言と作用性用言に分類しました。本稿に関係するものに限定すると、「べし」「ず」「じ」「む」「まし」は石垣氏の分類で形状性用言です。簡単に言うと形容詞の仲間です。

「ずは」や「まし」がここに示したように時制から独立である理由の一つは、それらが鈴木氏の言う「形状の詞」、石垣氏の言う「形状性用言」だからであると私は考えます。この点に関して詳細な論考を用意していますが、それは別稿とします。現時点では海外の言語学の論文誌へ投稿する予定です。

次に仮定2の背景を説明します。科学論文の仮定に理由は不要ですが、何故そう仮定したかは多くの方が興味を持つことでしょう。

「まし」には「反実仮想」と「願望」の意味があるとされます。この「願望」の意味は「反実仮想」つまり「仮定法」の意味から生じたと私は考えます。

願望表現の成立の詳細は別稿とします。ここではロシア語の例を述べるに留めます。ロシア語の仮定法と願望表現の関係は上代語の「まし」と良く似ています。

以下、佐藤純一(1985)から例文とその和訳を引用します。下線と鍵括弧内の注釈は私が付けました。丸括弧内の注釈は著者の佐藤氏によるものです。

まず、ロシア語の仮定法に時制がないことを示します。


Если бы вчера была хорошая погода, мы поехали бы за город.
もしも[если]昨日[вчера]良い天気[хорошая погода]だったら、私たち[мы]は郊外に[за город]出かけたのだが。

Если бы сегодня была хорошая погода, мы поехали бы за город.
もしも今日[сегодня]良い天気なら、私たちは郊外へ出かけるところだが。

Если бы завтра была хорошая погода, мы поехали бы за город.
もしも明日[завтра]良い天気になるようなら、私たちは郊外へ出かけることもあるだろう(しかしこれは全くの仮定だからどうなるかはわからない)。

仮定法は動詞の過去形と小辞быを組み合わせて作ります。下線の部分が仮定法です。小辞быの位置は動詞の前でも後でも良い。ただし、еслиがあるときはその後ろに置かれます。最後の文のпоедемは一人称複数の直説法現在です。時制がない点および条件節でも結果節でも仮定法が使われる点で上代語の「まし」と全く同じです。

ロシア語では条件節や結果節だけを用いれば願望の表現になります。結果節だけの例を同書から引用します。


Я пошёл бы с удовольствием
(お誘いがあれば)喜んで参ります。

Я погулял бы ещё немного.
もうしばらく散歩していたいものです。

上代語の「まし」の願望の意味がロシア語と同様に仮定法から発生した可能性を否定できません。とすれば、「てし」「もが」もかつては仮定を表現するものだった可能性があります。これが仮定2の背景です。

次に仮定3を仮設した背景を述べます。

ともすれば古代人の思考は単純であると思う向きもあるかもしれません。しかし、少数民族の言語研究者のDixon(1994)が記述するように、未開される民族の言語も驚くほど豊かで複雑なことを表現できます。彼らが文明人とされる人々の言語を話すときはその言語に習熟していないことが原因で単純な会話にもなるでしょうが、母語を使用する限り論理は一貫しているとDixonは言います。

稗田阿礼が古事記をすべて暗唱していたことには疑問もありましたが、アイヌ民族のユーカラの存在がその疑いを払拭しました。何日もかけて語られる長大な物語が口伝だけで伝えられてきました。それは何もユーカラに限りません。文字を持たない時代や民族には同様の長大な叙事詩が存在します。カエサルの『ガリア戦記』によれば、ガリア人の司祭は記憶力が損なわれるとして文字を受け入れなかったと言います。

文字や書物が記憶力を減退させ、自動車や鉄道が脚力を弱めたように、時代とともに増大する知識や言語活動以外に振り向ける時間の増加が、上代人にはあった言語の論理を処理する優れた能力を近世や現代の人類から奪ったのではないでしょうか。上代は詠歌が教養人の重大な関心事であった時代です。現代人が失った論理的思考力を当時の教養人は身に付けていたと私は素朴に信じたい。

事実、万葉集の有名な歌を用いて本稿の仮説を検証すると、従来の解釈とは異なる深い意味が浮かび上がります。論理的思考能力に優れる上代人が即座に理解した言語の論理を、私は論理式を用いることではじめて理解できました。「ずは」の語法が難解とされてきた理由もそこにあると思います。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
鈴木朖(1824) 『言語四種論』
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
石垣謙二(1942) 「作用性用言反発の法則」 『国語と国文学』 『助詞の史的研究』(1955 岩波書店)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
Michael L. Geis and Arnold M. Zwicky (1971), On Invited Inferences, Linguistic Inquiry
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
佐藤純一(1985) 『基本ロシア語文法』(昇竜堂出版)
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
Robert M. W. Dixon 1994, Ergativity, Cambridge University Press
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します) 

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