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2016年12月5日月曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その2 命題論理

ニュートンの『プリンキピア』は難解と言われます。難解なのは内容ではなく説明です。数式を使えば数行で済む証明を自然言語と幾何学を用いて行なうため、専門の研究者でも推論を追うのに骨が折れます。自然言語を記号で置き換えることにより説明が圧縮され、見通しが良くなります。本稿が記号論理を用いる第一の理由はその点です。

現代語は上代語の延長であるから、現代語に変換(現代語訳)して意味が通れば良いという考えは危険です。上代語と現代語の単語や句、構文の間に一対一の対応が保証されてないからです。例えば現代人が掛け算を忘れてしまったとします。上代語の中に、0×0 = 0や2×2 = 4を見出したとき、0+0 = 0や2+2 = 4と比較して、上代語の“×”は現代語の“+”と同じ意味だと結論するかもしれません。また、1×1 = 1を見たとき、それを特殊な“×”と分類するかもしれません。同様のことが「ずは」の構文の解釈で行なわれないとは言えません。また、上代人と現代人の言語の論理の表現の仕方が一対一に対応するとも言えません。上代語では異なる論理が同一の表現に口語訳され、そのために上代語の論理を見誤る可能性があります。記号を用いる第二の理由はそれを防ぐためです。

たとえば、英語の進行形と日本語の「ている」は似てはいますが、一対一には対応しません。

2-1 He is walking.
2-2 They are arriving at the airport.
2-3 I am living in Tokyo.

この中で「ている」と訳せるのは2-1だけです。2-2は未来を、2-3は一時的な行為を表します。上代語を現代語訳して意味を解釈する方法は、こらを一律に「ている」と和訳するのと同じことを行なう可能性があります。

条件文を論理式で書くと次のようになります。

A⊃B    (2.1)

ここでAとBは命題を表します。命題は「真」か「偽」かいずれかの真偽値を持ちます。論理記号“⊃”は論理包含を表し、「ナラバ」と読みます。式(2..1)の意味は「Aが真であるときBが真である」です。日常語の「ならば」はしばしば因果関係を示唆しますが、記号論理学の「ナラバ」は因果関係と独立です。つまり、因果関係はあっても良いし、なくても良い。因果関係がある場合も、Aが原因でBが結果でも良いし、Aが結果でBが原因でも良い。

A⊃BはAが偽の場合には言及していません。従って、Aが偽の場合はBの真偽値によらずA⊃Bは真です。A⊃Bは¬A∨Bと同値です。これを

(A⊃B) ≡ (¬A∨B)    (2.2)

と書きます。

記号“≡”は同値関係を表します。A⊃Bと¬A∨Bの真偽値はAとBの真偽の組み合わせの四通りに応じて真偽値が変化しますが、同じ組み合わせの場合に同じ真偽値を持ちます。例えば、Aが真でBが真の場合に両者は真であり、Aが真でBが偽の場合に両者は偽です。

記号“ ¬”は否定を表わし「デナイ」と読みます。¬Aは「Aデナイ」であり、Aが真のとき¬Aが偽であり、Aが偽のとき¬Aが真です。したがって、

A = ¬¬A   (2.3)

です。

記号“∨”は包含的論理和を表し、「マタハ」と読みます。A∨BはAまたはBの少なくとも一方が真であれば真です。日常語の「または」はしばしば排他的論理和であり、AとBがともに真であるとき偽とされます。例えば「当選者には商品Aまたは商品Bを差し上げます」は商品Aと商品Bの両方を与える場合を除きます。

上記以外に本稿で使用する論理記号に記号“∧”があります。この記号は論理積を表わし、「カツ」と読みます。A∧BはAとBがともに真であるときに限り真です。つまり、AとBの少なくとも一方が偽であればA∧Bが偽であす。

以上紹介した論理記号のみに限定すると、その結合力は否定“¬”(デナイ)が最も強く、含意“⊃”(ナラバ)が最も弱い。論理和“∨”(マタハ)と論理積“∧”(カツ)はその中間です。したがって、¬A∨Bは(¬A)∨Bであって¬(A∨B)でなく、A∧B⊃Cは(A∧B)⊃CであってA∧(B⊃C)でありません。

日常語との混乱を避けるために、以下、デナイ、ナラバ、マタハ、カツと記したときは記号論理学の意味に限定します。また、命題の内容は前後に鍵括弧[]を置くことにします。本稿で用いるのは最も初歩的な命題論理(propositional logic)であり、登場する記号は上記のものに限られます。

式(2.2)から対偶が同値であることが導かれます。対偶とは前件と後件を入れ替えそれぞれの否定を取ったものです。

(¬B⊃¬A) ≡ (¬¬B∨¬A)    (2.4)

二重否定¬¬Bは肯定Bと同値です、論理和は交換法則を満たすので、

(¬B⊃¬A) ≡ (B∨¬A) ≡ (¬A∨B)    (2.5)

式(2.2)と式(2.5)から、

(A⊃B) ≡ (¬B⊃¬A)    (2.6)

です。論理式で書けば単純な式(2.2)と式(2.6)の意味が従来の「ずは」の語法の解釈でしばしば見過ごされてきました。

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。

参考文献(刊行順)
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』
田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
大野晋(1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

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