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2019年9月5日木曜日

JBJ-05 上代文学会事件 その五 万葉集28番歌

途中から読む人のために繰り返すと、上代文学会(代表 品田悦一氏)を被告とする損害賠償請求訴訟が東京地裁に提訴された。原告は同学会の会員である。講演申込みが不当に拒絶されたという。

原告の講演予稿は次の歌の解釈に関するものである。

春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山 万01-0028
春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山

原告の新訓は第四句を「衣乾(ふ)るなり」とする。被告は、上代に助動詞「なり」が動詞連体形に下接した例がないから「説得力がない」という。

小生の見たところ、上代語に動詞連体形に下接する「なり」がないとする通説が拒絶理由になるか否かが争点のようである。そのような「なり」の存否を問うているのではない。存在しないと言い切れるかどうかである。

「なり」が動詞連体形に下接しうるという説は国文科を卒業して国語学や国文学を教えている大学教員の書いた論文にある。通説に対する異論があることは被告代表の品田悦一氏も認めている。もしもこのことが争点であれば、原告の勝訴は間違いない。著者が国文科卒の大学教員であれば掲載する、そうでない著者の論文は掲載しない、というのであれば、著者の経歴による差別である。

被告は気象学会の事件と同一と考えているようだが、それとは条件が異なる。そのことについては「知らない町で乗ったタクシーの料金を何故踏み倒さないのか」に少し書いた。その件に関して私は気象学会を支持する。査読が適切だったと考える。しかし本件に関しては原告を支持する。「説得力がない」という主観的な意見は論文や発表の審査の基準になりえない。そのような判断は反科学的である。

ちなみに日本物理学会は次のような発表を許可している。

理由は簡単である。これを否定する客観的な証拠がない。「説得力」は日常の場の判断基準である。研究の場では理由にならない。

もしも「説得力」つまり「読み手の主観的判断」が論文審査の基準ならば、論文の採否を恣意的に行ないうる。お手盛りの審査が可能となる。たとえば、科学研究費の研究成果として査読がある論文誌への掲載は価値を持つから、科学研究費の不正取得を容易にする。万が一、原告が敗訴したなら、上告の際には「説得力」という反科学的な判断基準の是非を問うてもらいたい。科学研究費の不正は新聞や雑誌が大いに注目するところである。


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