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2019年9月14日土曜日

JBJ-06 上代文学会事件 その六 気象学会事件との違い

途中から読む人のために繰り返すと上代文学会(代表 品田悦一氏)を被告とする損害賠償請求訴訟が東京地裁に提訴された。原告は同学会の会員である。講演申込みが不当に拒絶されたという。なおここで言う事件はこの辞書の3の意味の「訴訟事件の略」である。

本件に関して上代文学会は自信満々のように見える。萬葉学会も同様に見える。気象学会の原告敗訴が理由かと思う。しかし気象学会の事件は本件とは異なる。

気象学会事件の原告の論文の主張は地球温暖化の主要な要因が大気中の二酸化炭素であるとする従来の仮説を間違いだとするものである。もしも原告の論文が従来説に代わる新たな仮説を提示するものであったなら、そしてその仮説に反証がなかったなら論文は拒絶されなかったと考える。この違いは大きい。しかし国語学者の多くには同じに見えるかもしれない。

気象学会事件の原告の論文(以下、Kとする)の主張は下記の1である。本件の原告の発表予稿(以下、Jとする)の主張は2である。
1 従来説は間違いである
2 従来説と違う新たな仮説を提出する

上記の1を言うには反証を一つ挙げれば良い。問題はKの挙げた証拠が反証と言えないことである。Kが証拠として上げるグラフの説明がMantaさんのページにある。つまり従来説を間違いとするKの主張には論理的な妥当性がない。これを気象学会は「説得力がない」と呼んだ。この表現は誤解されやすい。主観的に納得できないのでなく客観的な証拠とならないのだから「科学的に妥当でない」のような表現にしてほしかった。一方Jの主張は2である。これは現時点で反証がないのだからそれをもって拒絶できない。独創性には問題がないだろうから他の理由で拒絶するとしたら影響力(の可能性)だろう。しかし上代文学会や萬葉学会の過去の掲載論文と比較する限り影響力においてJが劣るとは言えない。

萬葉学会は

理系の研究では仮説を検証して、矛盾がなければ、一つの仮説として成り立つのではないかと思いますが、ことばの場合は、他の形式との比較と差異の検証が必要になります。
と言う。

萬葉学会は上記の1と2を混同して2を言うには1が必要だと言う。しかしこれは正しい研究のあり方ではない。量子力学の黎明期にハイゼンベルクとシュレディンガーと二つの仮説が並行して行なわれていた。どちらかが正しくどちらかが間違いあるいは両方が間違いかもしれないが、反証がない以上どちらも棄却できない。その後に両者が同じことを別の角度から述べたものであることがわかった。萬葉学会は「ことばの場合」というが、言語学が経験科学であることは言うまでもない。妥当な反証がない以上、従来説と新説は平等に扱われなくてはならない。

本件に対する上代文学会の拒絶理由は「説得力がない」である。気象学会も上代文学会も同じ用語を使うが、前にも述べたように言葉は記号である。同じ記号を使いながら両学会の意味するところが異なる。気象学会は「論理的に妥当でない」の意味に使い、上代文学会は「多数意見と異なる」「大学の教員たちの考えと異なる」という主観的な理由しかあげていない。上代文学会は、動詞連体形に下接する「なり」が奈良時代に存在しない、と主張するが、その主張に論理的な妥当性はない。奈良時代に話されていた言語の中にそのような「なり」が存在しなかったと言い切るには、用例の絶対数が万葉集と続日本紀宣命などしかない上に、詩歌や宣命が当時の口語と同じという保証もない。言語史の研究の常識では言語変化は数百年の単位で起こる。奈良時代から平安時代への時代区分とともにあらゆる地域、あらゆる社会階層の言語が突然に切り替わるだろうか。論理的な妥当性がないのは上代文学会の拒絶理由である。

二十数年前のことだが、当時90歳を越えていた高名な弁護士の方から「裁判はやってみないとわからない」と言われた。ご自宅まで送る途中に運転しながら雑談の話題として「こういう裁判がもしもあったら」と聞いた。予想外の重い言葉だったので記憶に残っている。大学在学中に司法試験に合格し以来70余年弁護士をされてきた方である。簡単に答えが出るものと思っていた。本件の資料を読んでその言葉を思い出した。どういう判決が出るかは現時点でわからない。しかし上代文学会側から在野の研究者に対する大学教員たちの思いもかけなかった考えの一端が漏れた。そのことについては次回書く。

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