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2020年3月21日土曜日

JBJ-14 品田悦一の言う「間テキスト性」 The Tabito Code 上代文学会事件

前々回の「私は東大で40年間万葉集を研究してきた」の註の1に書いたように、研究者と有名人は敬称を省略する。研究者は論文の著者、有名人は名前がWikipediaの項目にある人物とする。

品田悦一が雑誌『短歌研究』201905月号に寄稿した「「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(新元号の深意)」がネットに公開されている。

品田悦一は「間テキスト性」を説明して「さらに、現代の文芸批評でいう「間テキスト性 intertextuality」の問題があります。しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、奥行きのある意味を発生させる関係に注目する概念です。・・(中略)・・この場合、単に辞句を借用したと見て済ませるのではなく、全文との相互参照が期待されていると捉えるのが、間テキスト性の考え方です」と言う。

しかしこの語を流行らせたJulia Kristevaはそのようなことを言っていない。あるテクスト(フランス思想を語る時はtextをテクストと書くので従っておく)が他のテクストの一部を単に取り入れることである。たとえば品田の著書に『鬼酣房先生かく語りき』があるがFriedrich Nietzscheの超人思想を暗示するものではない。しばしば使われる「初めに結論ありき」にキリスト教を布教する意図がないことや「消費税よ、おまえもか」の発話者がJulius Caesarを気取って消費税をLucius Junius Brutusに見立てているのでないことも同様である。

Kristevaの著書の翻訳者注釈に「テクスト間相互関連性(intertextualité クリステヴァがはじめて導入したフランス語。この概念は誤解されがちなので注意が必要である。それは、ある作家の他の作家に対する影響とか、文学作品の源泉とかとは無関係である・・」とある。わざわざこのような注釈を付けたのは同様の誤解が一部に行われているからと思う。

「令和」の出典となった万葉集の梅花歌三十二首の序文の「初春令月、氣淑風和」の文言と『帰田賦蘭亭集序の文言の間にintertextualityの可能性が指摘されている。品田は「早く契沖の『万葉代匠記』が指摘したとおり、張衡「帰田賦」(『文選』)に「於是仲春令月、時和気清」の句があります」、「「梅花歌」序の典拠としては、もう一つ、王羲之の「蘭亭集序」(「蘭亭序」「蘭亭叙」とも)も挙げられていて、間テキスト性の見地からはこちらのほうが重要ではないかと思います」と言う。

序文全体と出典全体とではなく、それぞれの一部の文言の間のintertextualityであることに注意されたい。契沖の『万葉代匠記』は梅花歌三十二首の序文の中の「初春令月氣淑風和」が張衡の『帰田賦』の「仲春令月時和氣清」、『蘭亭集序』の「是日也、天朗氣清、惠風和暢」、杜審言の『和晉陵陸丞早春遊望』の「淑氣催黃鳥」とそれぞれintertextualityの可能性があると言う。なお「令月」自体は高校生向けの漢和辞典にも載っている熟語であって『帰田賦』以前から使われている。契沖は他の幾つもの文言についても、それぞれintertextualityの候補を記している。梅花歌三十二首の序文に暗号(code)が秘められているというなら、旅人は他の部分には全くの独創の表現を用いていたはずである。

以上を要約すると、
1 文芸批評で用いられるintertextualityという語に品田の言うような強い意味はない。あるテクストが他のテクストの表現を借りただけである。もちろん、そのテクストの主張を暗示する場合がないとは言えないが、必ずあるとも言えない。
2 梅花歌三十二首の序文の他の多くの文言にもintertextualityの可能性があると契沖が『万葉集代匠記』で指摘している。『帰田賦』や『蘭亭集序』や『和晉陵陸丞早春遊望』に含まれる文言とのintertextualityが指摘されたのは「仲春令月時和氣清」だけである。

この序を大伴旅人が書いたかどうかははっきりした根拠がない。一説には山上憶良が書いたとも言われている。序文が秀逸だからだろうか。平仄にも気を配る四六駢儷文はなかなか書けるものでない。漢詩文を相当に書きなれていることが要求される。

考えてみてほしい。英語圏に留学した経験がない日本人が和英辞典も満足な文法書もない状態で母語話者を感動させる美しいrhythm(漢文の平仄に相当する)を持ち辞麗句を散りばめた英文を書く苦労を。古代人が四六駢儷文を書く行為も同じである。和英辞典の訳語を並べても母語話者に読みやすい英文にはならないように漢字を適当に並べても四六駢儷文にはならない。

初めて論文を書く理系の研究者が苦労するのは「実験を行なった」「ここでTtはそれぞれ温度と時間である」「式(1)を式(2)に代入して時間で微分すると式(3)を得る」のような科学技術論文に特有の表現である。文学部の教員が作る和英辞典や文法書には載っていない。母語話者が書いた教科書や論文の表現を借りるしかない。

そういう初歩的な段階を過ぎても非母語話者が正しい英文を書くのは難しい。日本語で将棋は指すと言い碁は打つと言う。将棋を打つや碁を指すは外国人の日本語に聞こえる。これをcollocationと言う。どの前置詞を使うか、どの形容詞を使うか。これも母語話者の文章から学ぶしかない。それを書いた研究者の説に賛成であるか反対であるかは全く関係がない。科学技術とは関係ないが「箸が転がっても笑う」「赤子の手を捻るようなものだ」のような日本語に特有の表現を直訳しても通じない。同じ場面で母語話者が使う言い回しを覚えるしかない。

憶良のように遣唐使として唐で二年間を過ごした訳ではない旅人だったからこそ、書物で学んだ漢詩文の知識を総動員して、何とか序文を書き上げたのではないだろうか。

なお先人の表現を借りるのは非母語話者だけではない。詩語やpoetic dictionと呼ばれる詩に特有の言い回しは漢詩にも英詩にもある。これもintertextualityである。 

Carl Saganが仮説の作り方を述べている。誤解しないでほしい。Saganが言ったから正しいと言うのではない。理系の研究者なら誰でもすることを一般人向けに説明しているだけである。 

Spin more than one hypothesis. If there’s something to be explained, think of all the different ways in which it could be explained. Then think of tests by which you might systematically disprove each of the alternatives. What survives, the hypothesis that resists disproof in this Darwinian selection among “multiple working hypotheses,” has a much better chance of being the right answer than if you had simply run with the first idea that caught your fancy. 

仮説は複数作る。説明すべきことがあれば、異なった説明の方法のすべてを考える。次に候補のそれぞれを系統的に反証するテストを考える。何が生き残るか。多数の作業仮説の中でこの進化論的な自然選択の反証に耐えた仮説は、最初に魅力的に見えたアイデアだけで単純に進めるよりも、正しい答えとなる場合がずっと多い。

入社して最初に配属された研究所の所長の口癖は「一つの実験に十の考察」であった。一つの説明を見付けて安心してはいけない。

「箸が転がっても笑う」の場面でeverything is a source of funと言うことを私はGilbert and SullivanThe MikadoThree little maids from school areweで知った。彼女たちが演じているのは明治時代の秩父の女生徒たちである。ネットを検索すると「箸が転がっても笑う」はlaugh at the drop of a hatとある。しかし万葉集の時代にそのような環境がなかったことは言うまでもない。 

研究者同士の自由な相互批判が研究を発展させてきた。研究者が論文を書くのはスポーツの選手が試合の場に立つのと同じである。そこには日常の場とは違うルールがある。全力を尽くして戦っても試合が終われば遺恨はない。しかし文学部の研究者の中には自説を批判されただけで怒る人たちがいると聞く。もしもそうならその人は研究者とは言えない。批判されるのを好まないなら研究をやめるしかない。私は品田悦一の論文を批判したが、論文を書いた品田個人に対して特別な感情があるのではない。研究の場と日常の場は別である。 

理系の研究者同士なら言わなくも良いことを書いた。品田悦一がそういう人物だなどとは思わないが、文学部の研究者の中にはそうでない人もあるかもしれない。このような蛇足を書かなくても良くなったとき日本の人文科学の研究は欧米と対等になるだろうし、そうなることを願っている。

参考文献
Carl Sagan (1995), The Demon-Haunted World: Science as a Candle in the Dark, Random House.

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