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2020年3月11日水曜日

JBJ-13 MC-06/07 向井克年の言う「可能世界」 ク語法 上代文学会事件

前回の「私は東大で40年間万葉集を研究してきた」の註の1に書いたように、研究者と有名人は敬称を省略する。研究者は論文の著者、有名人は名前がWikipediaの項目にある人物とする。

読者の方から向井克年(2018)の存在を教えられた。私のク語法の論文への萬葉学会の反証のつもりだろうと言う。その論文は著者の仮説を述べただけであり、何かを論証したものではない。しかし、萬葉学会がそれを反証と考えているなら同学会の態度の急変と符合する。

民事調停の席で萬葉学会の乾善彦は今後のやりとりを「メールで(行おう)」と提案した。その後メールを書いたが一向に返信がない。電話をしても出ない。しかし非通知で掛け直すと乾はすぐに出た。どうやら私の電話番号を登録して着信禁止にしてあったようだ。乾の態度は民事調停の時とはうって変わって強硬であり「この件について話し合うつもりはない。異論があるなら訴えてほしい」と言う。ちなみに上代文学会が提訴されたことはその時に乾から聞いた。

乾の急変の理由が理解できなかった。最初は、上代文学会事件は気象学会の判例があるから被告勝訴と萬葉学会が考えていて、私が訴えても勝てると踏んでいるものと推測した。しかしそうなら萬葉学会が原告の発表を許可したことと矛盾する。とすると、読者の方の予想するように、萬葉学会は向井克年(2018)を私の説への反証と見ているということになりそうである。私が萬葉学会を訴えたなら彼らは向井の論文を乙号証として提出するつもりなのだろうか。

向井克年(2018)は「ク語法が表す事態」を「現実の事態が広がる世界とは異なる、話者の内面に生起する可能世界」と「捉え考察してきた」と述べる。向井の言う「可能世界」とは何だろう。

向井は森重敏(1946)から次の文言を引用する。

「「く」は前の句につけて其の全体を主体に対立した客観的な位置におき、之を客観しながめさせている、或は「く」 と言うことによって主体は一歩退き前の句を更に主体的立場から正に前の句として客観しながめている、という様に考えられないか。斯かる客観しながめるという点に「く」 のはたらきがあるように私は思う」。 

非常に晦渋である。単語のそれぞれの意味を正確に読み取ろうとすると他の単語との関係が曖昧になる。さながらHeisenbergの不確定性原理である。 

続けて向井は「この森重氏が捉えようとしたク語法の機能は、外界の現実世界とは並行的に捉えられる、今一つの世界の描写である。換言すれば、それは話者の眼前に広がる個々具体の事物ではなく、それを一旦話者の内面に再構築した世界である。それを本稿では可能世界と称しておきたい」と言う。

これが可能世界意味論で言う「可能世界」と異なることは言うまでもない。しかし何故そのような紛らわしい用語を使うのか。国語学の論文を理解しにくくしているのはこのような他分野の専門用語を違った意味で用いる習慣である。Alan SokalJulia Kristevaらの専門用語の誤用を批判したが、そうした誤用はその用語の正確な意味を知っている者の理解を妨害する。他分野の専門用語を違った意味に用いる習慣は専門家の目には次の会話と同じように映る。

患者 「イヌにカマレました」
医者 「この傷は犬に噛まれたようには見えませんが」
患者 「私がいうイヌは「自動車のドア」のことであり、カマレルは「挟まれる」ことです」

国語学者 「宣長は真淵をリスペクトすべきでした」
一般の人 「宣長は師をrespectしていましたよ」
国語学者 「いいえ、師の説に反論しました」

国語学者は「宣長は真淵の意見に従うべきだった」という意味を彼らに特有の言い方で表現している。宣長は師である真淵をrespectしていたが、defer toしなかった。国語学者のいう「リスペクト」は英語のdeferenceの意味である。

会話であれば問い返すことが出来る。しかし論文では出来ない。専門用語を違った意味で使うことがどれだけその正しい意味を知っている者の理解を妨げるかお分かりと思う。

可能世界の正しい意味は、たとえば、小野寛晰(1994)やGraham Priest (2008)を参照されたい。簡単に言うなら、「状況」や「場合」である。それをありありと思い浮かべるためにpossible worldと言うのである。当然、我々が住む世界も可能世界の一つである。

向井の言う「可能世界」は「心の中の世界」のようであるが、しかし今度は、それが「現実世界とは並行的に捉えられる」という意味が解らない。森重敏(1946)の「主体は一歩退き前の句を更に主体的立場から正に前の句として客観しながめている」の「主体的立場」や「客観」の意味も解らない。「主体的立場」は自分の意志に基づく立場ではなさそうだし、「客観」は第三者の立場で見るという意味ではなさそうだ。散文詩のようである。呉智英が誤訳の多い翻訳書は斜め読みすると却って分かりやすいと書いていた。国語学の論文も同じかもしれない。単語の意味を正確に捉えようとすればするほど解りにくくなっていく。

もしも萬葉学会が向井克年(2018)を乙号証として提出するなら意味を尋ねてみたい。

さて、向井は「ク語法は心的作用の対象とはなり得ても、知覚行為の対象とはなり得ないと言うことができる。ここに、客観世界に対して特立される主観世界を想定する立場が成立する。」と言う。「特立」は「独立」と同じ意味のようだが、次の「される」は受動か可能か。学術論文では主観的表現を避けたいので「自発」の意味はまずあり得ないが、国語学の論文には頻出する。「想定する」の主語は話し手か著者か。「立場」とあるので著者のようであるが、その後を読むと、想定するのは話し手のようである。森重敏(1946)の言う「客観」はどこへ行ったのか。科学技術論文を読みなれている者には国語学の論文は論理の流れが非常に追いにくい。

向井の言う「ク語法は心的作用の対象とはなり得ても、知覚行為の対象とはなり得ない」を萬葉学会は私のク語法の論文への「反証」と考えているのだろうか。

向井はク語法と準体句が「見る」と「思ふ」の目的語(註1)になる頻度を比較する。ク語法は「見る」の目的語になりにくいと言う。萬葉学会の意図に反して、これは私のク語法の仮説に適合する。私が定義した「知覚」は五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の作用であり、具体的には「見る」「聞く」「感じる」「味わう」「匂う」である。「見えているのが見える」などという重複した表現はあまりしない。ク語法が知覚を表わすから「見る」の目的語になりにくいのである。「思ふ」対象は向井の言う「可能世界」、正しくは「心の中の世界」であるが、知覚することは「思ふ」の対象になりうる。

註1 向井は「目的格」という形態論の用語を用いているが、向井が意味しているのは統語論の分類である。 

向井の言う「ク語法は・・知覚行為の対象とはなり得ない」を正確に言うなら「ク語法は知覚行為を表わすので知覚行為の対象になりにくい」である。向井の観察結果は私のク語法の仮説と整合する。では、向井の仮説はどうだろう。

・めづらしき人に見せむともみち葉を手折りそ我が来し雨の降らくに(雨零久仁) 08-1582
・・・上枝に もち引き掛け 中つ枝に いかるが掛け 下枝に ひめを掛け 汝が母を 取らくを知らに(之母乎取久乎不知己)汝が父を 取らくを知らに(之父乎取久乎思良尓) いそばひ居るよ いかるがとひめと 13-3239 

これらは心の中の世界だろうか。08-1582は「雨が降っているのが明らかなのに」である。話し手、つまり、読み手は雨が降るのを知覚して(見て)いる。13-3239は鳥に向かって「お前の父母が捕まっているのをお前が知らずに」である。話し手は知覚して(見て)いるが、鳥の子は自分の親が捕まっているのを知覚して(見て)いない。

萬葉学会は論文の審査で反証を探しもしなかったのだろうか。とすれば、萬葉学会は向井克年(2018)を仮説の提案と見ず、何かの論証と見ていたことになる。しかし、そのようなことはできない。観測事実から公理を演繹することは不可能である。だからこそ科学の方法として仮説が用いられるのである。仮説を提示して観測事実で検証するという科学の正当な方法に「説得力がない」と言い、観測事実から公理を演繹しようとするような不可能な方法を「論証」と萬葉学会が信じているとすれば、それこそが乾善彦の言う「人文学の危機」である。人文科学の研究の発展が反科学(オカルト)を信じる人々によって阻害されていることになるからである。

引用文献
森重敏(1946)「加行延言の考察」 「国語国文」vol. 15(6/7) p12-44 
向井克年(2018)「ク語法が対象化する事態の様相――ク語法が「思フ」「見ル」の目的格となる場合―― 「萬葉」 vol. 226 (2018.10), p52-68

参考文献
小野寛晰(1994)『情報科学における論理』(日本評論社)
Alan Sokal (1999) Fashionable Nonsense (Picador) 
Miriam Butt (2006) Theories of Case (Cambridge University Press)
Graham Priest (2008) An Introduction to Non-Classical Logic, Second Edition: From If to Is (Cambridge University Press)


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