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2017年9月17日日曜日

質的記述 その4 不親切な万葉学者たち

ある万葉学者の著書を読んでいたところ、追記として別の万葉学者の論文を「注目すべき研究」として紹介してあった。掲載は遠方の大学の紀要である。近隣の図書館の蔵書にない雑誌だったので著者にメールを書いた。PDFファイルをお持ちなら送信してほしい、と。

すぐに返信があった。電子ファイルは所持していない、あしからずご了承ください、と。 

全く予想していない反応に驚いた。論文の著者に電話したりメールを書いたりしたことは、それまでに何度もあった。一度もそのような対応はされなかった。特に大学の研究者は親切だった。いつも丁寧に疑問点に答えてくれたし、論文のoff-printsや論文集を電話の後にお礼のメールを書くとその住所に送ってくれたりした。私も同様の問い合わせを受けた。論文の引用文献が手に入らないので送って欲しいというというものから、実はあなたと同姓だが先祖はドイツ人かという問い合わせまであった。私と同じ発音のドイツ語の姓が南ドイツとオーストリアに300世帯ほどあるのだと言う。

そういうことは学会というコミュニティでは当たり前だと思っていた。だから、ひょっとして、かなり変人にメールを書いてしまったのかとも思った。あるいは、それほどの内容の論文ではないので、読まれるのが恥ずかしいので、敢えてそういう返事をしたのかとも考えた。それほど、その反応は、私には、意外だった。後ほど国語学の関係者に聞くと、著者にPDFファイルなどを求めるのは当該の学会ではあまりないことらしかった。

その後、別な万葉学者の論文がやはり近隣の図書館にないということがあった。良い機会だから、その著者にメールを出した。今度は一週間経っても返信がなかった。そこで、当該の大学のシステム担当者に、このアドレスは正しいのかという問い合わせを行なった。次のようなメールを出したが返信がない、と書き、当人をCCに入れておいた。すぐに返信があった。あちこちの大学図書館が所蔵しているから、そちらへ問い合わせられたい、と。

一人だけなら変人で済ませられるが、二人となったので、別な関係者に説明を求めた。その行為は「横入り」と判断されるだろうと言う。

物理学会は入会に2名の推薦者が必要である。だから誰でも入会できるというものではない。国語学や万葉学の学会は違う。誰でも入会できる。理系の学会には独特の方言がある。教科書には説明がないが、学会の口頭発表では誰もが当たり前に使う用語がある。たとえば、エネルギーの単位のkeVをケブ、MeVをメブというのも独特で関係者以外には通じない。いきなり電話を掛けても、そういう訛りが出れば、すぐに身内の人間だと分かる。それにそもそも研究テーマが特殊だから、一般の人が関心を持つことはない。国語学や万葉学は一般の人も論文を読んで理解するし、関心も持つ。

横入りというのは、国語学や万葉学の学者集団にいきなり一般人が加わろうとした行為が非難されるという意味と解釈した。理系の学会は、学生時代から入会していて、講演したり、論文を投稿したり、他人の論文を査読したりということを経験してきた。自分がメンバーであることを疑いもしなかった。しかし国語学の学会では一介の素人であり、学者集団から区別される立場だった。

万葉学者たちから見て万葉学者だけがweであり、私たちはtheyと呼ばれる集団だった。ヨーロッパのキリスト教徒は同じ宗教の仲間とは友愛に満ちた関係を保ちながら、ムスリムに何をしたか。アメリカ先住民に何をしたか。いや、日本も同じである。風土記を読むと、ツチグモと呼ばれる異文化の異民族にはまるで動物にたいするような態度であった。

萬葉学会のP氏やQ氏が理系の論文を書き、私がそれを査読するとしても、彼らの経歴で判断することはない。論文の記述が事実に基くかどうか、推論が正しいかどうか、それだけしか見ない。 それが当たり前だと思っていた。万葉学者たちが閉鎖的と言われるとしたら、それは論文の審査に、誰が著者か、著者はどういう経歴の人か、そのようなことが考慮されるからではないか。

理系の論文は実験事実と推論だけが問われる。著者に特別の感情を持っていたとしても、その感情に基いて採否を決定できるほどに審査の自由度がない。ある論文を百人の人が査読したら、九十九人までの意見が一致するだろうし、一致しない残りの一人の場合も、編集委員の判断で一致させることが出来る。

萬葉学会の査読は今後詳細に検討する予定だが、あのような査読理由が許されるなら、白いものも黒くなり、黒いものも白くなる、どのような結果も査読者の語呂の論理で決まってしまう。

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