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2017年7月7日金曜日

萬葉学者であるとはどのようなことか? その3 三段論法と二段論法

二段論法はエンテュメーマ(ἐνθύμημα)の訳語である。私が作った新語と書こうとしたが、念の為にインターネットを検索すると、斎藤秀三郎氏の『斎藤和英大辞典』(日英社 1928)の見出しに既にあると言う。この分かりやすい訳語が何故廃れてしまったのだろう。今は省略三段論法や説得推論が使われているようである。

三段論法と二段論法の違いを例をあげて示す。ともにアリストテレース(Ἀριστοτέλης)の用語で、前者のギリシア語はシュロギスモス(συλλογισμός)である。

三段論法(συλλογισμός)
大前提 人間は食べないと生きて行けない
小前提 太郎は人間である
結論 太郎は食べないと生きて行けない

二段論法(ἐνθύμημα)
前提 太郎は人間である
結論 太郎は食べないと生きて行けない

二段論法は三段論法の前提の一つを省略したものである。一段論法がもしもあるとするなら、あいだみつを氏の「人間だもの」がその例になるかもしれない。なぜ省略するのか。言わなくても通じるからである。説得推論という訳語が示すように、アリストテレースは弁論術に向いた方法だとした。論理的厳密性は犠牲になるが、短く表現するほうが理解されやすく印象も強くなる。

二段論法は、しかし、日常生活では多用される。三段論法を使う場面はむしろ少ない。二段論法が理解されない場合である。これを発展させたのがToulmin modelと呼ばれる日常生活の論証の類型化であろう。

話が前後するが、アリストテレースが説得術について書いた(弟子たちが講義の内容をまとめた)本が『テクネー・レートリケー』(Τέχνη Ῥητορική)である。原題は「演説の技術」とでも訳せようか。岩波文庫から『弁論術』の名で訳書が出ている。古代ギリシアでは
レートリケーの巧拙が裁判や政治の結果を左右した。どちらも大衆を説得しなくてはならない。だからこそ、 ソピステース(Σοφιστής)という詭弁を含めた説得術を教える職業が成立したのである。ソピステースの厳密でなくしばしば詭弁である議論を、師匠のプラトーン(Πλάτων)は嫌ったが、アリストテレースは現実的な方法としてレートリケーを研究した。

ギリシア語のレートリケーは英語のrhetoricの語源である。日本語でレトリックと言うと普通は比喩、倒置、擬人法などの言葉の彩(figure)を指す。元のギリシア語の意味は、演説の構想を練り、言葉の彩の技巧を凝らし、あるいは凝らさず自然さを目指し、それ)を暗記し、舞台俳優の如く発声や身振り手振り表情にも心を配って演説する、その全体を指す。

アリストテレースはレートリケーが役立つ理由の一つに次の理由をあげている(1355a)。原文が難解すぎて稿者の語学力では及ばないので、古い英訳から重訳する。


Further, in dealing with certain persons, even if we possessed the most accurate scientific knowledge, we should not find it easy to persuade them by the employment of such knowledge. For scientific discourse is concerned with instruction, but in the case of such persons instruction is impossible; our proofs and arguments must rest on generally accepted principles, as we said in the Topics, when speaking of converse with the multitude. 

(理由として)次に、ある種の人たちを説得するとき、たとえこれ以上にないほど正確で系統だった知識があったとしても、彼らをそのような知識を用いて説得するのは簡単でないことに気付くはずである。系統だった議論は論理的に厳密な証明を用いるが、そのような人たちの場合は論理的な説明が通用しないからである。トピカで述べたように、大衆と話すとき、証明や論証は誰もが受け入れられる原理に基かなくてはならない。

簡単に言えば、大衆の前で演説するときは、教養ある人同士なら通じる論理的な証明が通用しないので、『トピカ(Τοπικά)』で説明したように、必ずしも厳密と言えない
レートリケーの方法を使わなくてはならない、という意味である。

プラトーン(Πλάτων)とアリストテレース(Ἀριστοτέλης)の考えに従う限り、論理的な証明と説得は別のものであり、教養ある人々には論理で正しいことを証明し、大衆にはレートリケー(弁論術)の技術によって不正確ながらも納得してもらうのである。レートリケーは正しいことよりも正しそうに見えることが価値を持つ。些細なことを重大に見せかけ、重大なことを些細に見せかけられるからであると言う(プラトーンのパイドロス Φαῖδροςの267a)。

論理に基く論証は、相手が教養ある人たちであれば、つまり、ある程度の論理を理解する人たちであれば、それが論理的に正しいことを示せば良い。レートリケーは、そのような方法が通用しない相手を何とかして説得し、こちらの主張を理解してもらう、現実的な方策である。

萬葉学者のP氏の言う「説得力」がそのようなものかは現時点で断定できない。しかし少なくとも客観的でなく主観的なものであることは間違いない。なぜかと言うと、P氏が説得力があるとしたものに私は説得力を感じず、論理的な説明がP氏に説得力がないと映るからである。この点については具体例をあげて後日考察したい。なお、なぜこのような考察を続けているかの理由をここに書くと、人文系の萬葉学者と理系の研究者が相互理解を得る手段を知りたいからである。

これは私の仮説であるが、上代語の研究が江戸時代から大きな進展がないことの理由として、萬葉学者たちの研究が客観的な論理でなく、主観的で非論理的な萬葉学者には説得力があると思われる方法によってきたからではないかと考えるからである。大きな進展がないことは、科学的な手法に基く研究から、従来説を覆す発見が、論文の数にして30本ほど蓄積されているからである。それらが公開され、萬葉学者たちに受け入れられた時点で、進展がなかったことの証明となるだろう。しかし、ク語法の論文み見られるように、科学的な方法が萬葉学者たちに説得力を感じさせないならば、論文の公開は自費出版あるいは海外の言語学系の雑誌への投稿という手段になろう。国語学の事情に詳しい知人によると、海外で評価され、逆輸入されるほうが速いと言う。

それは権威による論証の一種である。


なお、アリストテレースは論理学について詳細な議論をオルガノン(Όργανον)と後に名付けられた一連の著作の中で行なっている。「分析論前書(Αναλυτικών προτέρων)」では、一階の述語論理とやや誤りを含んだ(語句の解釈により誤りが解消するという意見もある)様相論理を文章だけで記号を使わずに記述している。ニュートンの「プリンキピア」も同様であるが、現代人には非常に読みにくい。それを読みこなせた古代人は頭の回転がさぞ速かったことと思う。

つまり、アリストテレースは、一方で、厳密な論理学を哲学学習者に用意し、他方で、大衆にそのような厳密な論理で説明しても理解されないので、彼らが理解しやすい説明をする技術を研究していた。アリストテレースは哲学学習者に厳密な論理に基く証明を示し、彼らが大衆に何かを納得させる技法としてレートリケーを解説した。事実、「形而上学」には、哲学するには論理の訓練が必要との記述がある(第4章第3節)。

ゴルギアス、プラトーン、アリストテレースのいずれにあっても、説得とは論理を理解できない人々を論理によらずに納得させることであった。その考えに従うならば、説得力があるとは論理以外の力により納得させられるという意味である。説得力が主観的な概念であることは言うまでもない。

参考文献
Delphi Complete Works of Plato (Illustrated) (Delphi Ancient Classics Book 5) Kindle Edition
Delphi Complete Works of Aristotle (Illustrated) (Delphi Ancient Classics Book 11) Kindle Edition
Aristotle: Rhetoric in Greek + English (SPQR Study Guides Book 39) Kindle Edition
Quintilian Institutes of Oratory Kindle Edition
An intermediate Greek-English lexicon: founded upon the seventh edition of Liddell and Scott's Greek-English lexicon Kindle Edition

AmazonのKindleの全集は、翻訳は古いのだろうが、いずれも数ドルと安価である。岩波文庫の『弁論術』の和訳も読みやすい。論文を書くというのでなければ、最新の研究成果が反映されてなくとも十分役に立つ。ただしkindleは現時点でギリシア文字の入力が行えない。そのためLiddell and Scott'sは辞書の用を為さない。

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