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2017年2月1日水曜日

ク語法の真実 その6 リンゴが落ちるのを見て誰もが重力を発見するだろうか

 ニュートンがリンゴの実が落ちるのを見て重力を思い付いたとする説には疑問があるそうです。したがって、火星の軌道を見てそれが楕円であると気付くか、とすべきかもしれませんが、それではリンゴと重力ほど分かりやすくはないでしょう。最近今まで通じた常識的な議論が通じないことを経験しました。ニュートンの発見への疑義を書いたのは、一つの間違いを指摘して全体を否定するような詭弁への予防線です。

 熟したリンゴの実が木から落ちる。その光景を見た人はどう考えるでしょうか。「物体はすべて落下する」、「昔からそう決まっている」、国語学の研究が宣長の時代から大きな進展を見せないのは、そう考える人が国語学の学会の主流だからではないでしょうか。「あれも当たり前である」、「これも当たり前である」、そこで思考を中止するから新しい考えが出てこないのです。自然科学が進歩したのは、そこで立ち止まらずに、「なぜ落下するのか」と考える人がいたからです。

 空から目に見えない多数の粒子が降り注いでいる。それがリンゴの実を押すのである。国語学の論文に特有の非論理的な推論 その6 説得力に述べたような「説得力」はあります。しかし、では、風船はなぜ上昇するのでしょうか。正解は大気に働く重力が風船に働くものより大きいからです。目に見えない粒子でも説明できないことはありません。そのような仮説は多数の人が時間を掛けて考えれば何十と出てきます。いや、何百かもしれません。しかし、様々な検証の中で棄却され、生き残る仮説は僅かです。

 地球とリンゴが引き合うのである。この仮説は大胆です。ここを読む人は、ニュートン以前の時代に生きていたとして、同じことを思い付く自信はありますか。このような推論を仮説検証法と言いますが、Charles Sanders Peirceはabductionと呼びました。演繹のdeduction、帰納のinductionに対比させた命名ですが、誘拐の意味でもあるのでretroductionと呼ばれることも多いようです。

 推論の方法は他に演繹と帰納があります。演繹は問題の中に答えが存在します。帰納は観察の積み重ねです。仮説は簡単に言えば結果を見て原因を推測することです。かくばかり恋ひつつあらずは その0 仮説と検証に述べた「かめや」の方法です。国語学の論文に特有の非論理的な推論 その3 歌意が通ることに述べましたが、国語学の論文で未知の語の意味の推測に多用され、国語学の世界ではしばしば証明と混同されます。

 違いは何でしょうか。仮説検証法は多数の仮説を検討するに対して国語学の「逆は真なり」は一つの仮説を提出するだけです。また仮説検証法が多数の検証を行なうに対して「逆は真なり」は通例一つか二つの検証しか経ません。なぜでしょうか。答えは簡単です。仮説を考え出すのは発想力が求められ、その発想力を誰もが備えていないのです。一つの仮説しか思いつかないことも珍しくありません。国語学の世界は特にそうです。一つしか思いつかないから、それ以外にないと考えてしまい、それをあたかも証明された事実のように錯覚してしまうのです。

 仮説は一旦誰かが思い付けばコロンブスの卵と同じで、仮説を考える苦労をしたことがない人には当たり前に見えてしまいます。国語学の世界にはそのような苦労をした人は少ないでしょうから、他人の仮説が何の苦労もなく自然に出てきたものと思ってしまうのでしょう。しかし無から有を生じせしめるabductionは非凡な才能が要求され、誰もが容易に行なえるものではありません。だからこそ科学の発展を決定する発見を為したのは少数の天才たちなのです。

 ここで、萬葉学会の査読者と編集委員に聞きたいのですが、ク語法がアクという動詞に由来するものであり、その動詞が知覚を意味するという説は、加行延言と言われた江戸時代から平成の今まで一度でも登場したでしょうか。一度も登場しなかったというのは本稿で述べた説が簡単に思いつくような単純なものでない証拠です。ク語法を見た誰もがそこに知覚するという意味を読み取らないのは、リンゴが落ちるのを見た誰もが重力を発見しないのと同じです。

 萬葉学会の査読者は非論理的な修辞法の「理由無き断定」を用いて、「新知見とは言いえない」と言い切っていますが、今まで謎とされてきた「なくに」という打消のク語法、「ざらなくに」という二重打消のク語法の理由が合理的に説明されただけでも十分に新知見なのです。


参考文献
Umberto Eco (Ed), Thomas A. Sebeok (Ed), (1988) The Sign of Three: Dupin, Holmes, Peirce (Advances in Semiotics), Indiana University Press.

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