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2018年9月29日土曜日

MC-04 共闘

萬葉学会を訴えるというR氏の提案を受け入れるまでに逡巡したことは前回書いた。何もしなければ何も変わらない。しかし何かをすれば良い影響も悪い影響もある。論文の種は三十ほどある。順次投稿して行こうと考えていた。しかし萬葉学会から関連の学会へ回状が回りこの者の論文を掲載するなということがあるかもしれない。R氏はむしろ雑な審査を行なえないと考えるだろうと言う。そうとも考えられるし、そうでないとも考えられる。

弁護士費用も交通費も要らないと言う。大変ありがたい提案である。当然私のためだけに行なう裁判ではない。いわばR氏と私の共闘である。私たち以外にも排他的な審査の被害者はいるだろう。記者会見等を行なうなどして広く世間に知らしめると言う。そうであれば裁判は勝たなければならない。世の中の人の大部分は両者の言い分を十分に検討するなどということをしない。偉い学者たちの判断に個人的な不満から訴えたと思われるだろう。矢面に立つのは賭けであった。

R氏と知り合ったのも何かの縁である。それまでに様々な偶然が重なった。後で振り返ると、恐れ多いが淵田美津雄氏のような気持ちであった。キリスト教徒の知人から言われた「裁判に訴えて罪に気付かせてあげるのも愛である」という言葉も思い出した。しかし何よりも万葉集や上代日本語の研究を発展させるには萬葉学会のギルド的体質を打破しなくてはならないと思った。

萬葉学会の編輯委員たちは学術論文を短歌や俳句のような文芸作品と考えているように見えた。乾善彦氏の言う「良い論文」とは学問としての万葉学を発展させるものではなく、彼らが満足する「様式美」を備え彼らの「常識」(実は非常識なのだが)を満たすものを言うのではないかと感じる。それでは学問は進歩しない。相対性理論は光速に近い速さで運動する物体の長さが縮み質量が増大し時間が遅れることを主張する。これは一見「常識」に反する。しかし多くの人が考える常識は非常に特殊な世界でだけでしか成立しない。長さや質量や時間の進み方が一定であると考えることこそ非常識であった。

2018年1月31日に萬葉学会の代表の乾善彦氏に通知を送付した。もう後戻りできない。 

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