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2020年6月6日土曜日

JBJ-22 品田悦一の「万葉ポピュリズムを斬る」を斬る その一 早まった一般化 上代文学会事件

新型コロナの影響で図書館が休館していた。「短歌研究」の2020年4月号がようやく借り出せた。「万葉ポピュリズムを斬る」の後編がやっと読めた。

品田悦一のいうポピュリズムはナショナリズムである。品田は「本来多角的・多層的であるはずのアイデンティティーのうち、どの国に帰属しているかというレベルばかりがむやみにせり出して、他を圧するようになったのが近代という時代」と書く。それはナショナリズムであってポピュリズムではない。

前回書いたようにポピュリズムは水戸黄門的世界を前提とする。道徳的で善良な「我ら」と不道徳で悪辣な「彼ら」という単純な対立の構図である。それはポピュリズムの必要条件であって十分条件ではない。しかしそれがないならポピュリズムではない。何のためにそのような二元化を行なうのか。民主主義の選挙に勝つためである。

ポピュリズムの根底にはhasty generalizationという論理的誤謬がある。少ない事実を無理やり一般化・単純化して間違った結論を導く誤謬である。「早まった一般化」と訳される。テレビの水戸黄門を見る視聴者は知っている。「代官も商人も全員が悪人ではない、百姓や町人だって同じだ、現実の世界は複雑だ」。それが理性的な考えである。

ナチスは「我々ドイツの労働者や農民は真面目に働いている、狡猾なユダヤ人と彼らと組んだ一部の悪辣な政治家が我々を搾取している」という対立の構図を作った。これは単純で分かりやすい。しかし正しくない。理性的に考えれば、それが早まった一般化の結果だとわかる。

人間は常に理性的か。そうであれば悪政も人種差別も生じない。前回は木村花さんの事件を取り上げた。ドラマの中の世界と現実の世界の区別が付かない非理性的な人たちが彼女をSNSで攻撃した。しかし攻撃した人の全員がいつも非理性的か。そうではない。ある時は理性的であり別のある時に非理性的になるのだ。ネットに向かうと思考が単純化する。水戸黄門を見ている人も同じである。しかしテレビから離れると普段の理性的な状態に戻る。ネットに向かう人は思考が単純化した状態のまま情報を発信する。インターネットの無い時代になかったようなことが起こり始めた原因の一つがそこにあると考える。

ナチスは民主的な選挙で政権を得た。彼らは様々な文化装置を利用して大衆の思考を単純化した。盛大な式典や軍隊の行進は演劇的効果を生み出し思考を単純化する。映画や音楽やヒトラーユーゲントの活動などのすべてが思考の単純化、非理性化に動員された。

それに対抗するにはどうすれば良いか。国民の一人一人が理性的であることである。どんな状況に置かれても常に理性的であり続ける。品田の言う「踊らされてはいけない、ぼーっと生きていちゃいけない」は正にその通りである。しかし多くの人は生まれながらに理性的ではない。様々な論理の錯覚を持って我々は生まれてきた。その錯覚を克服し正しくものごとを考える方法を教えるのが論理学である。論理学の教科書や論理的思考を解く本が多数出版されている。しかし本を読んだだけでは畳の上の水練である。論理的思考は訓練を経て初めて身に付く。

理系の学生は実験を計画し結果を考察することや数学や物理の演習問題を解くうちに論理的に考える訓練を行なう。人文系の学生や教授は他人と議論することで訓練をするはずであるが、日本の文学部の風土(culture)はそれを避ける。権威の意見に反論してはいけないのである。これでは論理的思考が身に付かない。上代文学会は答弁書で「原告には、専門家としての上代文学研究者に対する敬意が欠けている」と言った。これでは「専門家である我々は絶対に正しい」と言っているのと同じである。上代文学会はたびたび「根拠」という言葉を使ったが、そのテーゼに根拠はあるのか。自分の主観的な意見を客観的な事実のように主張するのは論理的でない。

品田悦一の主張は万葉集の東歌や防人の歌の作者に庶民はいないとものである。その根拠は
1 馬を詠んだ歌があるが、馬は高価であり庶民が所有できるものでなかった
2 「葛飾の真間」のような広域地名と狭域地名を重ねる表現は民謡にありえない
というものである。

品田の根拠が正しいと仮定しよう。しかしそれでも品田の説には論理的な誤謬(fallacy)がある。品田は馬が読み込まれた歌と広狭の地名が登場する歌だけを庶民のものでないと言っているにすぎない。これは早まった一般化(hasty generalization)である。一部がそうだから全体がそうだという論法である。白い猫を何匹か見て「猫はすべて白い」というのと同じである。ユダヤ人の悪徳商人が何人かいたという事実からユダヤ人がすべて悪徳商人だ結論するのとも同じである。品田の言うように「ぼーっと生きている場合ではありません」である。その早まった一般化が人々を非理性的にし差別を助長することに気付いてほしい。

長くなったので後編は次回とする。

参考文献
Gideon Kunda (2006), Engineering Culture. Temple Univ. Press.  儀式の演劇的効果をこの本で知った。
Jan-Werner Müller (2016.9) What is Populism? University of Pennsylvania Press.  板橋拓己訳(2017.4)『ポピュリズムとは何か』(岩波書店) この本は翻訳を読んだ。
品田悦一(2020.3) 「万葉ポピュリズムを斬る(前篇)」 雑誌『短歌研究』 2020年3月号
品田悦一(2020.4) 「万葉ポピュリズムを斬る(後編)」 雑誌『短歌研究』 2020年4月号

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